
監督:スティーブン・スピルバーグ
音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:トム・ハンクス(ビクター・ナボルスキー)
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ(アメリア・ジョーンズ)
スタンリー・トゥッチ(フランク・ディクソン)
チー・マクブライド(ジョー・マルロイ)
ディエゴ・ルナ(エンリケ・クルズ)
バリー・シャバカ・ヘンリー(レイ・サーマン)
クマール・パラーナ(グプタ)
ゾーイ・サルダナ(ドロレス・トーレス)
正月映画として12月後半に公開されたこの映画ですが、いや、ほんとにお正月に相応しい、めでたいドラマでした。この「正月映画」という冠の似合いっぷりは、『AVP』と競るぐらいですね。ちなみに「『AVP』は正月映画の冠が似合っているのか?」については、詳しく言及はせずに言い逃げします(笑)。「空港での生活を余儀なくされた男のドラマ」というのは、ユニークなストーリーではあるものの、退屈に感じる箇所が出て来てもおかしくないような内容の映画だと思うんですが(どちらかと言うと、邦画が考えつきそうなアイデアという感じがするし・笑)、もう、映画が始まった瞬間から、エンドクレジットが終わるまで、時間が経つのも忘れてスクリーンで展開されるストーリーに釘付けになってしまいましたからね。いや、エンドクレジットの時はスクリーンはあんまり見てなかったですけど(何が書いてあるのか分からないし)、ジョン・ウィリアムズによるテーマ曲はしっかり心に沁みてましたね。
「人生は待つ事」というキャッチコピーが付けられた映画ですが(日本では違ったっけか)、この映画の中で「何かを待つ」という行動をしているのは、ハンクス演じるビクターだけではなく、誰もが何かを待っている、というふうに描かれていました(全員が全員、何かを待ってるというわけじゃないですけどね)。
普段、ちょっとでも待つ事があるとイライラとしがちですが、この映画を見ると、そんなささいな事でイライラなんてするもんじゃないな、と思いますね。むしろ、その待ち時間の間で何をするのか、どう楽しむのかが重要なんですね。
それにしても、スピル監督が、いかに偉大な監督であるかという事を、久々に、そして改めて思い知らされましたね。この、爆破も銃撃もカンフーも無い映画で、ここまで私に熱中させるとは、まさに恐るべき技量です。
一般観客の嗜好も、評論家の嗜好も全て知り尽くしているかのような演出とストーリーの語り口の上手さは、ただ見事と言う他無いですね。映画の製作に関してはド素人の私でさえ、この映画の芯から湧き出てくるような“レベルの高さ”が感じられましたからね。
ですが、この映画で何よりも凄いと思ったのは、やはり、主人公ビクターを演じたトム・ハンクスでしたね。こちらも、久々に、そして改めて、いかに偉大な役者なのかというのを思い知らされました。
もう、劇中でビクターが喜んでいると、見てるこっちまで楽しい気分になってくるんです。同様に、ビクターが悲しんでいると、こっちまで泣けてきてしまいます。この、ハンクスの演技があまりにも自然かつ見事なので、見てる私がビクターになってしまったような錯覚すら覚えるほどです。
どことなく、フォレスト・ガンプ系統のキャラっぽかったですし(ビクターはIQは決して低くはないですけど・笑)、まさに“ハマり役!”といった感じでした。この映画を「最初から最後まで見入ってしまった」のは、このトム・ハンクスの演技に惹きつけられていたのが一番の原因と言ってもいいぐらいでしたね。
ハリウッド中の名だたる名優達の中でも、このビクター役をここまで見事に演じきれるのは、多分ハンクスだけでしょう。だって、「空港の人込みの中で、荷物を抱えて立ちつくしている姿」がここまで絵になる人なんて他にいないですよ(笑)。
ストーリー展開とか、映画の全体的な雰囲気とか、まるでクラシック映画を見ているような感じがありました。古き良き時代の雰囲気の映画といったところなんでしょうか。一瞬、この21世紀に作らねばならない映画なんだろうか?とも思ったんですが、やっぱり、このCG全盛の現代にこそ、こういう、ドラマのみで勝負する映画(それも、バツグンに面白い!)が必要なんだなと思い直しましたね。それに、クラシック映画の雰囲気は感じられながらも、「古臭さ」というのは無かったですからね。
まるでおとぎ話のようでもありながらほろ苦さのようなものもあるストーリーに、登場する人達のほとんどが基本的に善人。殺伐としたストーリーや映像の映画が多い中、この平和な感じは、なんとも言えない味わい深さがありましたねぇ。
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基本的に、いい人ばかりの登場人物の中にあって、唯一の悪者が、スタンリー・トゥッチ演じる、フランク・ディクソンでした。でも、この人も“悪者”と言うほど悪い人間ではないんですよね。むしろ、全登場人物の中で、一番、リアルで等身大なキャラクターといった感じでした。本当の悪者だったら、ビクターに対して、何かもっと卑劣な行動をしたはずですからね。少なくとも、ビクターを騙す、という事は一度しかやりませんでしたし、それだって、あの時点では、特にビクターを傷つけるようなものでもありませんでした。
映画の序盤。言葉の分からないビクターに対して、状況の説明を英語でまくしたてるディクソンには、「相手は英語が分からないのに、何でそのまま英語で喋りまくってるんだ、こいつは?」と思ったものでしたが、基本的に向こうの人は、英語を喋れない人や、あまりうまくない人に対して、「ゆっくり喋ってあげる」とか「身振り手振りで分かるように話す」という事をあまりしないらしいですね。ここは、ディクソンが嫌な人間だというのを描写しているのではなく、文化の違いを描`写している場面という事なんでしょう(多少は誇張されてるんでしょうけど)。
そして、この時の「言葉の分からない自分に、誰も助け船を出してくれなかった」というのが、後の、薬を持ち込もうとしたロシア人を助ける行動に繋がるんでしょうね。「自分がやられた嫌な事を他人にも味わせてやろう」と思う人が多いこの世の中、ビクターのこの行動には感心させられましたね。自分が嫌だったからこそ、その辛さが分かるんで、同じ境遇に遭ってる人を助けてあげたくなったんでしょうね。
それにしても、ビクターの短期間での英語の上達っぷりは凄まじかったですね。相当、頭がいい人なんですね。あんまりそうは見えないんですが(笑)。建築関係の方面に才能を見せていたり、ああ見えて、多才な人なんですね。
“悪者”ではないですが、この映画のヒロインともいえる、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ演じるアメリアも、見てて腹の立つ行動を終盤でとってくれました。結局、ビクターとの関係は、ちょっとした気まぐれみたいなものだったんですね。これ、もし違う人が演じてたら、相当嫌味に見えたキャラだったと思いますね。
ビクターの空港での数ヶ月を充実したものにしてくれたのはこの人の存在のおかげと言ってもいいぐらいなんですが、あの別れ方は、むしろ「これまでの数ヶ月は何だったんだ」と思わせてしまうようなものですよね。
まあ、人生にはいい事もあれば悪い事もありますからね。本当の目的は無事達成出来ましたし(しかも、英語もすっかり上達して、サインをもらう本人と問題無く会話出来るようになってましたし)、空港では多くの人の尊敬も受けました。要は「いかにプラス思考でいられるか」ですね。
ビクターの人生にとって、何事もなく目的を達成出来たのと、空港で数ヶ月の足止めを食らった後の目的達成、どっちが有意義だったんでしょう。本来なら、人生の数ヶ月を無駄にしたとなるところだと思いますが、ビクターにとってこの数ヶ月は決して無駄な時間ではなかったような気がしましたね。