仮面の邂逅
「ごしゅじーん。」
桃源郷のある一角。四不象は主人である太公望の下へ急いでいた。
「おおスープー。どうした?」
まだ細身の太公望は慌てて部屋に入ってきた四不象に向かって問い掛けてみる。
四不象はなんとも嬉しそうな顔をしながら報告した。
「さっき桃の木を見てきたら、枝に小さな実ができていたッスよ!」
「なんと!それは朗報だ!!よし。わしも見に行くぞ!」
「…まだ食べちゃだめッスよ」
「…わかっておるわい」
そうして一人と一匹は桃の木へと出掛けていった。
羊が群れるその辺りに生えた程々の大きさの桃の木。
「ほうほう。確かに実ができておるのう。よし、では…」
ここに着いて小さな桃の実を確認するなり、太公望はその木の根元になにやら妖しげな液体を振り掛ける。
「あぁ!!ご主人!なにするッスか!?」
「まあみておれスープー」
言うなり太公望は桃の木の丁度実の出来ている枝の辺りを指差した。
「…あっ!実がどんどん大きくなってゆくッス!!」
「ふっふっふっ…これぞ雲中子特製の秘薬…」
「っていうかたんなるものすごい肥料なわけッスね。」
「うむ。」
副作用は保証しない。
「よしスープー!これからこの桃を交換しに行くぞ!」
「経過はともかく、質のいい仙桃ッスからきっとたくさん交換してもらえるッスよ」
籠いっぱいに桃を詰めて、太公望はその籠を四不象の背に乗せてやる。
「一つでも落としたらお主は飯抜きだぞ」
「…わ、わかってるッスよご主人」
少々顔の引きつる四不象だった。
桃源郷一の広さを誇る高原。
丁度ここで市らしきものが開かれていた。
市とはいってもここは桃源郷。各々がもちよる品のいわゆる物々交換の場である。
太公望と四不象ももれなくここで先ほど収穫した桃を野菜や薪等と交換していた。
「おお!田吾作どん。どうだ?この桃とその大根を交換してくれんか?」
「うーん。そうだなぁ…もちっとまってくんねか?」
熊の仮面を被った男と交渉開始。
しばしの後、大量の薪と桃数個を交換するに至る。
「太公望さん」
桃のほとんどをさばきおえてきた頃、一人の女の子が太公望に声を掛ける。
「…邑姜か。一応桃源郷の法律にはしたがっておるよ。何か問題でもあったかのう?」
「いえ、今日は貴方の状況を見にきただけです。」
太公望が持ってきた桃のひとつを手に持って、じっくりとそれを見る。
普通の桃よりも一回り以上大きいそれはなんとも水水しく、鮮やかな桃色をしている。
「そうか。おお、今日は羊毛の服もあるのだが、一着どうだ?見返りはいらんぞ」
四不象に持たせた別の籠のなかから一着の白い服を取り出して、それを邑姜が見れるように大きく広げた。
「今日はご遠慮しておきます。私は様子を窺いにきただけですので。それに、見返りを期待しているのは貴方の方ではなくて?」
「むぅ…色々とお堅いのう」
邑姜は少し微笑んで、他の市の様子を見る為にその場を立ち去った。
それから少しして、太公望は残り一つとなった桃をじっと見つめていた。
「大分人が少なくなってきたッスねぇ。そろそろお開きにするッスかご主人?」
太公望からの返事はない。
「ご主人?」
当の太公望はいそいそと近くにあったきれいそうな布で桃の表面をふいていた。
「はっ!ご主人!!最後の一つをひとりじめする気ッスね!!そうはさせないッスーーー!!!!」
「ぬぉっ!?やめぬか四不象!せっかくの桃が落ちるではないか!…て、あぁっ!」
体当たりをしてきた四不象を交わそうとした太公望の手から、先ほどの桃が転げ落ちる。
転々と高原を転がる桃は、次第に速度を緩め、そこに立っていた人物の足元で止まる。
その人物は足元に転がってきた桃を拾い上げて、太公望の傍まで歩み寄る。
太公望と四不象はぽかんと口を開けてその人物の顔を見た。
他の桃源郷の住民とは一味違った装束に身を包んだその人物は、まるで炎のように朱い髪を持った獅子の仮面を着けていた。
桃源郷の住民とも、邑姜、まして長老とも違う気を纏い、男はそこに佇む。
その男は先ほど拾った桃を太公望に向かって差し出し、ゆっくりと口を開いた。
「この桃はお前の物か?」
「…そうだ」
先ほどの陽気な表情とは打って変わって、太公望は神妙な顔つきで答えた。
獅子の仮面の男は、その回答を聞くと、手に持った桃を下げ、今度は左手に持った小ぶりの瓶を太公望の目の前に差し出す。
「これと交換してくれまいか?お前が欲するならもう一瓶持ってこよう」
「中身を確認してもよいか?」
「ああ、構わん」
男の手から渡された瓶の蓋を開け、中の物を覗き込む。
ここではあまり嗅ぐ機会の少ない香りだった。
「この桃はそこいらの桃とは少し違った桃ッス!だから…」
「交渉成立だ。…その一瓶だけでよい。いや、羊毛の服もつけようではないか」
その太公望の言葉を聞いて、四不象は驚きの表情を見せる。
男は口元を綻ばせてから答えた。
「いや、これ一つでいい」
そういって男は太公望に背を向けてその場を後にした。
「――っなんてことしたッスかご主人!!」
自宅に戻った太公望はさっそく四不象に怒鳴られていた。
「せっかく瓶ふたつでもいいって言ってるのに!それを桃一つで瓶一つどころか――…」
「まあまあ落ち着けスープー。わしは正当な価値に沿った交渉をしようとしただけのこと。お主もこれの中身をしれば納得するわ」
言いながら、太公望はお猪口に注いだ瓶の中身を四不象に差し出した。
「何馬鹿な事言ってるッスか!仙桃よりも価値があるも……って、これ桃の香りがするッス。」
「飲んでみよ。」
言われたとおり、四不象はそれを少しだけ口に含んでみる。
「お、おいし…ってこれ桃酒じゃないッスか!!」
「そうだ。それも恐らくはあの幻の豊満から作ったものであろう」
「え、えぇぇえぇ!!?」
百年に一度の幻の豊満からできたとなればその価値は膨大なもの。
妖しげな薬から作った太公望の仙桃とは比べ物にならない。
「だから羊毛の服もつけようと言ったのだが…無欲なやつだのう…」
「で、でもなんでそんなものがこんな所に?」
ここは桃源郷。もしかしたらどこかに豊満畑でもあるのかとも四不象は思った。
が、まあそんな事はないだろうと頭を左右に振って馬鹿馬鹿しい想像を振り切る。
「気づいたか?あやつのあの服…それにあやつのあの気」
「なにがッスか」
能天気と言うかなんというか。
まったく自分の言わんとする事を読んでくれない相方に呆れる太公望。
「あやつ、まず間違いなく仙道だ。それもかなり徳の高い」
「えぇ!!?な、なんでそんな人がこんな所にいるッスか!」
また驚く四不象。そんなに驚いてばかりで疲れないのかとも思う。
「さぁのう。ただのはぐれ仙人かもしれぬが…もしかすると」
「もしかすると?」
「…お主、わしらがここに来た理由を忘れたのか?」
「ご主人に言われたくないッス」
たまに仕事に夢中になる主人の姿を思い起こしての言葉だった。
「あの人は太上老君ではありませんよ」
二人に声をかけたのは邑姜。
「お主、あの獅子の仮面をつけた奴を知っておるのか?」
「一応桃源郷をまとめているものですから」
にっこりと笑って太公望に答える。
「ならあやつは何…」
「探し人ではない。今の貴方にはそれだけの情報で十分でしょう?それよりも、飲みすぎて明日の仕事に差し支えのないように。太公望さん」
そう言うだけ言って、邑姜は部屋を出た。
「あ!ちょ、ちょいまて邑姜!!」
「はっ!そうすっよご主人。二日酔いになんてなったら大変ッス。さあ明日も早いんだから寝るッスよ!」
四不象に押さえ込まれた太公望は仕方がないかと思いつつ、就寝支度に入った。
桃源郷を包む雲の見渡せる崖の上。
獅子の仮面をつけた男はそこからただ下に広がる雲をみていた。
「貴方がこちら側にいらっしゃるなんて…珍しいですね。」
邑姜はそこに佇む男に声をかける。
「興味の元は、太公望さんですか?」
声を掛けられた男は振り向く事無く口を開いた。
「もうすぐ…」
「?」
「もうすぐ、歴史が動く」
男の口にした言葉に邑姜は反応をみせる。
「老子と同じ事をおっしゃる…」
瞳を閉じて、流れる風をその身で感じる。
「貴方は老子の知り合いで、私が来るよりもずっと前から此処にいる。」
男はそれを聞きながら、自分の仮面に手をかける。
「私が知っているのはそれだけ。私は貴方の名前すら知らない」
「呂邑姜」
男は仮面を外して邑姜の方へ体を向ける。
「私とお前は違う世界で生きる者。私の名を知った所で何も変わることはない。それに、その必要もない」
男はその蒼い瞳で邑姜を見る。
「…その髪と眼…見覚えがあるわ。私が老子に連れられてここへ来た時に…」
幼い記憶に残る目の前の男の姿。
かすかに残るその姿から、目の前の男は何の変わりもない。
「ふふ…仮面を外しても、貴方は獅子のよう…」
男の素顔を形容して、邑姜は彼に背を向けた。
「住まう世界が違ったとしても、貴方と私はここで出会った…もし、またお会いする事があれば…その時にお名前をお伺いします」
そうして邑姜は歩き出す。
彼の視界から自分の姿が消える前に、片手を振って言った。
「貴方は私の名を知っているもの。そうでなければ、公平ではありませんでしょう」
聴こえているかどうかは関係ない。
ただそれだけ言って、彼と別れた。
もう完全に視界に入らなくなるほど歩いた頃、空を見上げた。
空を真っ黒な鳥のようなものが飛んでいた。
眼でそれを追いかけると、それは男の居た方向へ飛んでいった。
地面に落ちた真っ黒な羽を拾って、邑姜は微笑む。
手に持った羽をもう一度風にのせて、遠くへ飛ばせた。
羽が見えなくなるまで見送って、帰路につく。
地は朱い光に照らされ、やがて夜が訪れる。
今は静かに時が流れる。
終
お題第1段〜。やっぱり最初は封神演義で。
一名名前の出ていない人もいますがまあ言わずもがなだろうかなと。(笑)
突込みどころは色々(笑)
気にしない気にしない。