灯の導 -上-
誰もが私を最強と呼んだ。
生まれ持った資質の価値。
私はそれに応えた。
若くしてこの洞府の主となったのはその副産物。
いずれは十二仙へもと、周りは噂する。
この容姿も
この力も
崑崙山の照らす光だと。誰かが言った。
水は光を生みはしないのに。
「竜吉」
自分の名を呼んだのは母。
最近私の洞府へ訪れては耳にした噂を口にしてまた自分の住処へと帰っていく。
親が自分を誉めてくれるのだから、嬉しくない筈はない。
それでも母の帰った後にはただどこか淋しい空気だけが部屋に残る。
「次の十二仙選定会議ではきっと貴方が選ばれるわね。
他の名もみたけれど、貴方ほどの実力者を越えるものはいなかったわ」
まだそうと決まっている訳ではないのに、母は大手を振って洞府を後にした。
確かに、今いる十二仙候補の中に自分を超えるものがいるとは思えない。
それでも気が早すぎる母の態度にうんざりしていた。
時折こんな考えしか浮かんでこない自分に気付いて疑問に思う。
何か物足りなく感じているのだと、そう分かっているのかもしれない。
ふいにそれが何かを探してみたくなった。
近くに聞こえる滝の音。
周りを見渡せばそこには月明かりに照らされた闇に浮かぶ木々。
うすらと闇に溶けかけた緑はそこに並々ならぬ雰囲気を醸し出す。
「す、少し無謀な場所にしすぎたかのう…」
昔から両親に言われてきた言葉がある。
ふとその言葉を思い出した。
「絶対に下界へ行ってはいけない」
あの頃の自分はただ周りの言葉を受け入れるだけだったから、何故とは聞かなかった。
それでも、降りて直ぐにその理由が分かった。
同時に、この体の、絶対に解くことのできない枷も、理解できた。
「…っは、こほっ…っ!」
口を塞いだ手に感じた生暖かい感触と、月明かりの下で見える紅い色に、それが自分の血だと直ぐに理解した。
「苦しい…これは…下界の空気のせいか……」
すぐに水の膜を張り巡らせて、少しでも自分の周囲の空気を浄化させるように宝貝を発動させた。
少しして、僅かながらも浄化された空気に慣れた頃、また歩き出した。
「ここは…空気が悪すぎる…もう、少し……綺麗な…」
今にも倒れそうな体を支えながら、一歩ずつ確かめながら歩を進める。
近くに聞こえる滝音を頼りに闇を進む。
滝音が大きくなるに連れ、目の前がわずかに明るくみえた。
火の灯りではない。もっと優しく、おだやかに地が煌めいていた。
「…霊穴…?」
近づくにつれ次第に楽になる自分の体に、周りの気の流れに気付いた。
木々の隙間から、岩場にでるとそこには先程とはうって違った景色が目の前に広がる。
まだ少し遠い滝音が聞こえる中で、そこには川が広がっていた。
広めの川から煌めく光が闇の中に岩や緑を下から浮き立たせる。
空を見上げるとはっきりとした満月がそこに浮かんでいた。
「月明かりが、川の水に反射しておるのか…」
その灯りに目を奪われていると、静かな闇を切るように川の中から水音が聴こえた。
水音の中心から波紋が広がり、次第にまた緩やかな川の流れへ移っていく。
そこに見えた人影から垂れる雫は再び川に波紋を呼び込む。
遠く、また月明かりに照らされた影から表情は読み取れない。
「…お主は?……ふふ…まるで…」
ただその緩やかな髪は闇夜に鮮明に浮かんでいた。
次第に意識が遠のく。
倒れる前に、ただ目の前の光景を口に紡いだ。
――水を照らす灯のよう…
私の記憶はそこで途切れた。
気が付けば私はある一室で寝かされていた。
「…気付かれましたか?」
寝台の隣にある小さな台の上に、薬らしき小さな袋と水を置いて、その男は私に微笑みかけた。
夜と昼での印象の違いはあるものの、そこにいたのは確かに川にいた男だった。
「ここは、おぬしの部屋か?」
何の違和感もない空気に、すぐにここが仙人界だと気付いた。
「はい。あ、いえ。これから洞府に移り住むので正式には…」
という事は、仙人になったばかりという事。
外に見える景色から、多分玉虚宮の一室であろうと予測がついた。
「すぐに元始様と母上様が参られます。それまではしばらく休まれておくとよいかと」
「…ありがとう。お主、名は?」
実際黙って抜け出した身なので母にこられるのは困った事ではあるが、ここは素直に男の気遣いに甘んじる事にした。
少し独特の外見ではあるが、その雰囲気にどこか懐かしさを感じさせるものがあったせいでもあるだろう。
興味がわいたのもある。それに察するに仙人界へ連れ戻してくれたのもこの男だろう。
御礼をする義務もある。
「――霊鷲山元覚洞…の、燃燈…道人、と申します」
少しばかり戸惑った言い方がまだ初々しいのに少し愛嬌を覚える。が。
「…燃燈…?」
つい最近どこかで聞いたような気がして、記憶を辿ってみる。
それは数日前。
随分不機嫌な母に恐る恐る理由を聞いてみることにした時のこと。
「つい先日貴方のお父上が人間界で子を作っていた事がわかったのよ!」
単純に言えば浮気されたと、いくら若く、あまり洞府から出た事がないとはいえ、それぐらいの俗語の知識はある。
「その子がいつのまにか玉虚宮で修行していたようなのです」
唐突な爆弾発言をすらりと流しながら、話の続きを聞いていた。
少々考えてみれば、その子は自分にとっては異母とはいえ紛れもない姉弟関係になる。
下手に母を怒らせて『絶対会わせない』などしたくはない。
話を聞いている中で、父がすでに下山したことを聞いた。
母に叱られることにおののいたのか。
呆れながらもその子の名前を聞き出した。
「そう、確か…『ねんとう』……お主が…燃燈?私の…異母弟か!?」
思わぬ邂逅に燃燈の首元を引っ張って顔を自分に寄せる。
よく見れば父の面影もみえる。それに、瞳も自分に良く似た色をしている。
「おお、公主!起きたか。その様子ではもう大丈夫なようじゃのう」
「…元始…」
首元を掴んだまま、扉を開けて入ってきた人物を見る。
「体調がよくなったのはいいがそのままだと燃燈が窒息してしまうぞ」
言われて手元をみてみると勢いをつけすぎたのか、首元をしっかりと持ちすぎて首が絞まった状態になっていることに気付いた。
「あ、す、すまぬ…」
直ぐに手を離すと、燃燈は少しだけ咳き込んでからまたその顔に微笑を浮かべた。
「まったく言わずとも二人して同じ問題を起こすのだから困ったものだ」
元始は両手を組んで、苦笑いをしている。
「同じ?」
「…黙って人間界へ降りた事です」
燃燈も僅かに顔を引きつらせて視線をずらしている。
「まあ、そのお陰で公主。お主が今こうしてここにおる事ができるのだがな」
元始の話を聞くと、下界で倒れた私を仙人界まで連れてきたのはやはり燃燈らしい。
そして、私は無断下山の責任を負って十二仙の選定からはずされた事も聞いた。
数時間の説教の後元始は部屋をでていった。
部屋には私と燃燈の二人だけが残される。
「…のう燃燈?」
「は、はいっ!?」
元始の出た跡を見ていた燃燈は、私に呼ばれて動揺しながら返事を返した。
詳しく幾つ離れているかはわからないが、つい先日まで道士であったことを考えると、まだ100を越えていないぐらいか。
「お主昨夜は何故あのような所へおったのだ?」
どうしても聞いてみたいことだった。
道士が仙人になるのであれば弟子をとる必要がある。
みたところ燃燈はまだ弟子を連れていない様だ。
聞かれた当の本人は視線を逸らしていた。
その眼には僅かに哀しい色が浮かんでいる。
「…あ、さ、昨夜は弟子を探しにいったのですが…その…」
何か話したがらない訳があるのか、どうにも続きを話そうとしない。
恐らくは何らかの事情で弟子をとる事ができなくなったのであろう。
候補を実際にスカウトするまでに時間がかかる以上たまにある事だ。
今その事情を聞く必要はない。
「お主は私のことを知っておったのか?」
話を変えることにした。
気になっていたもう一つの事。
「は?あ、はい。数年程前に元始様からお聞きしました…」
それから私たちは母が来るまでの数時間、飽きる事無く話していた。
いや、聞いていたという方が正しいかもしれない。
いつまでたっても少し照れた表情の異母弟の話をずっと聞いていた。
中には話を躊躇した事も、話すのを止めた部分もあっただろう。
所々話をつぐみ、言葉を選びながら話をしていた。
日が落ち始めた頃、母が自分を迎えに来た。
母も燃燈の事は元始から聞いていたのだろう。
部屋に入ってきた母は私を寝台から起き上がらせると、一言も言葉を交わす事無く、私を部屋の外へと連れ出した。
母からしてみれば燃燈は全くの他人。
それも悪く言えば父を寝取った女性の子にあたるのだ。
そんな人物に良い顔をする筈もない。
分かっていた事だが、出る直前に燃燈を睨んだ母の表情をみて、私にも音無き声が聞こえた。
『竜吉は渡さない』
扉の閉まる直前に見えた燃燈の顔は、とても淋しそうに見えた。
洞府へ戻った後の事はあまり覚えていない。
覚えているのが苦痛だったのかもしれない。
そこで言われたのはただ母の苦い言葉でしかなかったから、覚えている事に何の意味もなかった。
自分の寝台に横になっても、ただ昨夜の情景を思い浮かべていた。
闇に浮かぶ朱も、日の下に煌めく朱も、ただ一瞬、ほんの数時間。
それだけの筈なのに、何年も付き添う母の姿よりも深く、瞼に焼き付いていた。
気が付けば、暖かな心持ちでその夜は過ぎていた。
続
2本目も封神演義で。
長くなったので分けました。全3話構成。
『続』からどうぞ。