あの人と、初めて顔を会わせたのは幾つの時だったか。
初めてあの人と会った時の印象は覚えているのに、それがいつだったかは覚えていない。
だが、何千年もの時を過ごしてきた今でも幼少の記憶は所々残っていて、思い出せる。
あの人が今ほど近い存在ではなかった頃。
この世界で、一番近しい存在であったはずなのに、あの人は遥か遠い場所にいた。
「痛いいたいイタいイタイいったーーーーいっ!!!」
背もたれのない椅子に座って、自分のすぐ後ろに立っていた人物を払い除け、半泣きになりながら自分の頭を両手でさする。
「えぇぃ!自分から頼んでおいてその態度はなんじゃ!?」
払い除けられた人物は櫛を片手に先程自分に頼みごとをしに来た弟子を叱り付ける。
「元始師匠は乱暴なんですよっ。もう少し丁寧に…」
「我侭を言うぐらいなら自分でやらんかっ!」
弟子の我侭に若作りをしてまでそれをきいてやった元始は、流石に怒って手に持っていた櫛を床に叩きつけた。
叩きつけられた櫛はすでに何本かが折れている。
床には折れた数本が落ちていた。
折れた部分の何本かは燃燈の絡まった髪に捕まっている。
「髪が絡まっている場所が悪いんです!」
「自分で手入れできんぐらいならとっとと短くしてしまえ!!」
「嫌です!!!大体自分の髭は丁寧に梳いているのに他人の髪を梳く時はなんで適当なんですか!?」
「いつわしが適当にした!」
「今!!」
橙色の、腰の上あたりまで延びている筈の髪。
激しく絡まって肩近くまで来ている髪をそのままに自分の師匠であり崑崙山教主である人物と激しく口論をかわす燃燈。
激しくも聞き手からするにはなんとも間抜けな口論が響くこの部屋に一人の道士が顔を出した。
道士は二人の口論をみるにすぐさま間に割って入る。
「はいはいはい、そこまで。元始様、竜吉公主が母君と共にお見えになられています」
「む。そうか玉鼎、すまぬがこやつをよろしく頼むぞ」
「竜吉異母姉様が来られているのですか!?」
椅子から立ち上がって割って入った道士、玉鼎にせまる燃燈。
それを元始が彼の視界を手のひらで遮って制止する。
「お主は決められた日以外は会わぬ約束であろうが。自由に会いたかったらいらぬ事をしとらんでしっかり修行に励め」
視界を遮られた手がどかされる頃には、元始は普段の老人の姿に戻っていた。
きょとんとしている燃燈を他所に彼はそのまま部屋を後にした。
燃燈はがっくりと肩を落として再び椅子に座る。
「…で、今日はまた一段とすごい『巣』になっているな」
さっきから燃燈の様子を窺ったままの玉鼎が口を開く。
『巣』というのは絡まった燃燈の髪の状態を見ての玉鼎の比喩である。
実際誰の目にもそう見える状態になっているのだから当の本人は黙るしかない。
「………ぎょくて〜…」
自分の名前を少々嫌そうに呼ぶ燃燈の顔から視線をそらし、腕を組んで一息ついてから口を開いた。
「梳かれるのは嫌か?私は構わんが、それともそのまま本当の鳥の巣にでもするか?」
床に落ちた櫛を拾い、軽く叩いて埃を落とす。
「…髪の毛を梳いて下さいお願いします」
視線をそらして言った。
「よし。」
ぽむ。と燃燈の頭を軽く叩いて言った。
梳き役を交代してから数分。
「…で、なんで髪の毛を伸ばしているんだ?お前仙人界に来た時は短い髪の方がいいって言っていたじゃないか」
やっぱり来た。燃燈はそう思いながら言い訳を考える。
「…今は長い髪がいいんだ」
「嘘だな」
0.5秒。
「切る時間が」
「今切るか?」
同。
「大体修行中にも私に『長い髪なんて邪魔になるだけじゃないか』って言っていた人間がそんなあっさり心変わりするとは思えん」
「…」
「しかもここまで長くなる前にも何度もこんな状態になってたじゃないか」
「……」
「毎回毎回何時間もかけて梳いてるんだろう」
「………」
「私や公主様のようなまっすぐな髪ならまだしも、こんな癖の強い髪で伸ばしていたら…」
「り、理由なんてどうでもいいだろっ!」
さきほどのように髪を梳いている手を払い除けるように振り向く。
「…なにをむきになっているんだ?」
「むきになんて…なってない。」
「なっているじゃないか。ほら、前を向け。続きができないだろう」
燃燈をもう一度前に向かせて、からまった髪を再び梳きはじめた。
「だって…少しだけでも……」
玉鼎に聴こえぬようにぽつりと呟く。
「何か言ったか?」
「…なんでもない」
そのまましばらくはおとなしく髪を梳かれてみる。
「久しいのう。元始」
「ふむ。竜吉公主も元気そうでなによりじゃ。いやいや、また一段と大人っぽくなったようだのう。それで、今日は何のようじゃ?」
まだどこかで大人になりきっていない、まだそんな感を受ける公主を見てから、その母に視線を向ける。
「ああ、元始天尊様今日は…」
「母上。」
ぴしゃりといったその声は外見よりもずっと重かった。
「元始様、燃燈は元気ですか?」
今度の声はさきほどとはうってかわって優しいものだった。
「う、うむ。元気がよすぎるくらいじゃぞ」
「そうですか。それはよかった」
そう言って竜吉公主は優しく微笑んだ。
「今日はただ近況をいくつかお話しようとお伺いしたのです。もちろん御暇であればの話ですが」
「おお、よいぞ今日は特になにもないからのう」
「それはよかった」
普段であるなら体の弱い公主からただ話をする為だけに来る事などありえないことだろう。
近況というよりは、異母弟の様子を聞きに来たのが一番の理由か。
先程母親が話すのを遮ったのも同じ理由であろう。
まだ若いといえど、実母の異母弟に対する態度も、その理由も分かっている故に。
本当であれば母を連れてこずに、一人で来るつもりであったのか。
「(姉に憧れる弟と、弟を心配する姉。姉弟としては理想的な気もするが…はてさて、この二人。将来は一体どうなることやら。)」
竜吉公主の話を聞きながら、元始は一つ溜息をついた。
もちろん、本人から聞いた訳ではないが元始は燃燈が髪を伸ばしている理由も容易に推測できていた。
まさか弟の方が色々な意味で将来予想以上の成長を見せる事は、今の元始に予想できる事ではなかったが。
今はただ、純粋に二人の成長を楽しみに思っているらしい。
――玉鼎が燃燈の髪を梳き始めてから3時間。
「……やっとほどけたか」
それなりに櫛の通るようになった髪に櫛を通しながら、玉鼎は次に話す話題を探していた。
「ありがとう…ございました。」
半分棒読みで燃燈が口を開いた。
「そうそう、年上にはそうやって敬語で話す」
「…修行に入ったのは同じなのに」
「何か文句でも?」
「別に」
今度は髪の流れを整えながら櫛で梳いてやる。
「公主とは、確か異母姉弟だったな」
かすかに燃燈が反応した。
「そうか、だから髪を伸ばしてるのか」
「なっ!何をわかったふりして…」
あっさりと見透かされて、また振り返って怒鳴った。
「公主と同じになりたいだけか。」
完全に図星の解答が返って来て、燃燈はぴたりと動きを止めて、前に向き直した。
「……悪いか」
「いや。しかし、そんな理由でこれから毎日3時間以上も同じことをやらされるのはかなわんな」
燃燈はふくれたまま黙り込んだ。
「しかしまぁ、…子供だな」
ぱたぱたぱた…。
「自分のが年上だからって…」
ぱたぱたぱた…。
次第に近づいてくるその足音に特に気をそらせるわけでもなく、二人は会話を交わす。
「そんなに気にする必要などないだろう、実の姉弟であることに変わりはないんだから」
そんな事とっくに分かっている事だと、燃燈は思った。
「燃燈!」
ふいに部屋に顔を出してきたのは先ほど元始に外見以上の態度を見せた人物。
のんびりと会話をしていた二人の視点が声の先に集まって、固まった。
「りゅ…竜吉公主様!?どうしてここに…?」
先に硬直を解いて口を開いたのは玉鼎だった。
「ああよかった元気そうで…」
玉鼎の疑問には答えずに部屋の中へ入っていく。
竜吉は二人の傍まで来て椅子に座ったままの燃燈を自分元に引き寄せる。
あまりに不意打ちな出来事に燃燈はまだ硬直している。
「二、三年に一度ぐらいはなどといわれつつも最近はなんだかんだで会いにこれなかったし、そうこうしておるうちにお主が倒れたなどと聞いて心配しておったのだよ。しかし本当によかった元気そうで」
硬直のとけきらぬ燃燈にそのまま話始める竜吉。
思わず玉鼎は一歩あとずさって止まっていた。
「た…倒れたって…それはもうすでに半年ほど前の事ではなかったかと…」
ようやく硬直がとけたのかしどろもどろに燃燈が話す。
「それはそうじゃが…なかなか抜け出す機会がなくてのう、今だって適当な理由をつけてちょっと抜け出してここに…」
話しながら燃燈の後ろにまわした腕に力がはいる。
『え、えぇ!?』
竜吉がここに来た理由にまた疑問の浮かぶ声をあげる二人。
「髪、伸びたのう」
「え、あ…。」
二度目の驚きの声にも特に反応せず、ただマイペースに話を切り替える。
「前みたいに短くしようか」
数時間前までそれこそ鳥の巣状態だった髪の毛に簡単に指を通し、竜吉は燃燈ににっこりと微笑みながら言った。
「あ、公主様これは燃燈が自分から…」
「はい。」
「ほらこの通り……――『はい』?」
玉鼎は咄嗟に今の今まで話していた事を思い出して説明に入ろうとする…が、それも当の本人の回答内容によってあっさりと打ち切られた。
「よしっ。じゃあいまから私が切ってやろう。玉鼎、はさみを貸してもらえぬか?」
「は、はい」
燃燈に文句の一つも言う暇もなく公主に言われたとおりはさみを取りに行く。
ある程度までばっさりと切った髪の毛を丁寧にはさみで先を切り揃える。
数分もする頃にはすっかり以前と同じぐらいの短い髪に戻った。
最後に櫛で髪を梳き終えると、竜吉は一つ息をつく。
「これぐらいかのう?」
「そうですね…」
短くなった燃燈の髪型を見ながら玉鼎は小さく答える。
廊下の向こうからかすかに竜吉を呼ぶ声がした。
「あ…いかん、どうやら抜け出したのがばれたらしい。では燃燈、私はもういかねばならん、すまぬな。あ、玉鼎も。また会える機会を楽しみにしておるよ」
そういうと竜吉は手に持ったはさみや櫛を玉鼎に手渡して早々に部屋を後にした。
颯爽と戻っていく公主を見送って、二人はそのまま公主の消えた先をみていた。
「……さ、片付けるか…」
床に散らばった髪に目をおとすことなく玉鼎がつぶやいた言葉に燃燈もこくりと頷いた。
箒で部屋を黙々と片付ける。
「だから、何も心配する事はないさ」
散らばった橙色の髪を掃きつつ玉鼎が口を開く。
「公主様と自分が『きょうだい』なのにあまり似てない事、気にしていたんだろう?」
先程の話の続きだった。
玉鼎の話に繋げるように今度は燃燈が口を開いた。
「…だから…一つぐらい、同じところをって……」
言葉を詰まらせた燃燈を見て、玉鼎は軽く彼の頭を叩いてやった。
「そんな事、心配しなくても大丈夫――」
さっきの竜吉公主を見てれば誰だって分かる。
そう言おうとして、言わなくてもいい言葉だろうと、そう感じてその言葉を引っ込めた。
「それはそうとして。」
「?」
途端に話を変えた玉鼎を不思議に思って、燃燈は彼の顔を見た。
「…3時間ぐらいか?」
「何が」
玉鼎の言わんとしている事がいまいち理解できないので、問い返した。
「こんなに短く切るならあんなに時間かけて梳く必要なかったな」
「………。」
飄々とした言い方だったのに、彼の顔は笑っていたのに、その笑顔からはささやかな重圧が出ていた。
「しかし…私の時ははっきり嫌だって言ったのにな」
「…何が言いたいんだよ」
「いや、別に」
取り敢えずは、どことなく腑に落ちないままの玉鼎だった。
――一つだけでもいい。同じ所が欲しかった。
いつも静かで、おしとやかで優しくて…長くて真っ黒な髪。彼女は水の仙女。
性別も顔も髪色も性格も、どれも対照的。
自分とは、違う。今は違う所ばかりが目に見える。
だから不安ばかりが募る。いつかは見つけられるだろうか。
自分の中で、この縁は本当だと、そう示してくれる、自分とあの人との共通点。
「心配してた…って言ってたな」
夜の空にうっすらと白い三日月が浮かぶ。
部屋の窓からその月を見上げながら、そっと思った事を言葉にしてだしてみた。
頭の中で考えてた時よりも、するりと知りたかった事が分かった気がした。
知りたかった事が分かったら、ちょっとだけ不安は消えて、楽になった。
不安が消えて、楽になったら、自然と顔が笑った気がする。
「異母姉様も、この月を見ているのかな」
数年ぶりに軽くなった髪にそっとふれる。
こんなにもくせが強かったっけなんて思ってから、布団を被った。
「おやすみなさい」
なんとなくうれしかったから、その気持ちが消えない内に、今この月の見えている間に、今日は寝ようと思った。
-了-
いやすんません。悪気はないんです。
ただちょーっと気楽にいってみようかと。
そんでついでにちび燃をと。
玉鼎師匠が同期なのは私的設定で*
ついでに色々な点において私的設定の前振りしてます。
玉鼎と若元始がそれだったり。
というか二人(玉+燃)の話し方が一番問題。
一番難しいのは玉鼎師匠。いまいちイメージ掴めてません(汗)