73 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山のかすみ 立たずもあらなむ
案文に裁可を頂く為、浩瀚は積翠台へと続く回廊を歩いていた。
庭院の先は長楽殿。
書房か、自室か。主上は今、どちらにおいでだろう。じとりとした暑さも落ちつき、艶やかに緑輝く晩夏の園林を眺めながら、そう、想いを巡らせていると、どこからともなく華やかな笑い声が響いてくる。
(さて?)
爽やかな風と共に漂う、女官たちの嘆声。
浩瀚は園林に降り、長楽殿の方へ知らずと足を向けた。
とてもよくお似合いですわ、と、囃し立てる女官たちに、陽子は黙って苦笑する。
長楽殿。自室の一郭で、近く執り行われる祭事の為の、衣装合わせをしているのだ。いや、「させられている」といった方が正しいかもしれない。
つれない態度に、女たちは口を尖らせて、陽子を非難した。
「そのようにやる気がないのでは、私たちも張り合いがございませんわ」
「もっとご自分の御衣裳に関心を持って下さいませ」
慶国の女王、ここにあり、と、賓客に知らしめて下さいましな、などというに至っては、さすがに話題を逸らさねば、と、陽子はいい訳めいた声を出した。
「いやほら、あの……あっ、浩瀚!」
房室に面した園林の先にあるのは、見なれた官服姿。主の声に釣られた女官たちの視線は、一斉に外を向いた。
「まあ…どうして冢宰が、こんなところに」
首を傾げる者もいれば、くすくすと笑う者もいる。
「主上のお美しさに惹かれていらっしゃったのですわ。きっと浩瀚さまがご覧になったら、お喜びになると思いますわよ」
ええ、どうして? あらあなた、知らないの? と、当人はお構いなし、女官同士でお決まりの噂話が始まったのをいいことに、陽子はそっと、その場を抜け出した。
丹精に整えられた園林の遥か奥から、ひらひらと、淡桃色の花びらが揺らめいてくる。
「浩瀚」
花びらが、自分の名を呼んだ。
浩瀚の目に飛びこんだのは、紅地に数種類もの淡い紗を重ねた襦裙を纏い、豊かな赤髪を花鈿で優雅に結い上げた、己の王。
「…天女が降りてきたのかと思いました」
正直な気持ちを語ったのに、相手はふふんと鼻を鳴らして、それでも、先ほどの女官の言葉を思い出し、ふわ、と微笑んだ。
「また、上手いことをいうな、浩瀚は。あ、裁可が要るのか」
手にした書類を見て取る。
「ええ、積翠台の方にいらっしゃるのかと思ったのですが、女官の声に引かれて、こちらへやって参りました。お衣装合わせの最中で?」
何のことはない、自分に惹かれてやってきたのだと冷やかした、当の女官たちの声につられてきたのかと知った陽子は、くつくつと笑い出し、浩瀚の背を押して、書房の方へ歩き出した。
「いやもう、頼むから息抜きさせてくれ。案文を見るよ」
「……裁可より先に、頂きたいものが出来ました」
なに?と問う前に、浩瀚は自分を見上げた馨しい花びらを、腕の中に封じ込める。
「ちょっ……こっ、浩瀚!?」
「……いつまでも、この手の中に留めておきたくなります」
陽子は微かに眉を顰めた。
「…それは、豪奢な衣装を纏っている、今だからか?」
「心の内では、常にそう思っておりますよ…ただ」
ぎゅっと、抱き締める。
「いつものお姿より、このお姿の方が……逃げにくいでしょう?」
耳許でくすり、と笑んだ男の、その言葉に、陽子は絶句した。そのまま攫い去りかねない勢いの浩瀚を、しかし突如、息を切らした女官の声が留める。
「浩瀚さま!そのまま主上をお逃がし下さいますな!」
「…残念、追っ手がかかってしまいましたね。仕方がありません」
ちら、と女官の方を振り返りった浩瀚は、心底口惜しそうな声で囁き、虚を衝かれたままの陽子を軽々と抱き上げた。
「え……あっ、ひどいぞ浩瀚!助けてくれないのか!?」
「冢宰といえども、女官たちに怨まれたくはないですからね」
「うう…」
結局、女官に恭しく先導され、頬をほんのり朱に染めながら拗ね事を呟く主を、房室まで連れ戻した訳だが、きゃあきゃあと一斉にあがる、女たちの黄色い歓声に辟易しながらも、何気に、続いて房室に立ち入ろうとした浩瀚を、女官がにっこり微笑みながら遮った。
「…ここからは、殿方禁制でございます」
無情に閉じられた扉の前で、苦微笑を浮かべた浩瀚は、ふ、と、ひとつ溜息をついて、その場を立ち去った。
2002.8.27 了
うううう(><)、難産でした〜。何で〜!? 別に百人一首だからという訳ではない…はず。
-------アップしてから直したくなったらどうしよう…(泣笑)。ええい、もう知らん!(おいおい)
えっと、「もっと見ていたいのに見えないじゃん。ほらそこ!隠すな!邪魔!」…という歌の意味を、拡大解釈してみました(笑)。いやあ、始めは、遠くから見て「綺麗だな〜」で終わらせるつもりだったのが、私ゃどーーーーしても密着させたいみたいです(爆)。しかし、これはまだ、そんなに深い関係…ではない頃設定(笑)。周囲には微妙に、バレてたりバレてなかったり。
元歌はどうみても春ですが、特に理由もなく(^^)今頃にしてみました。それと、私は金波宮の内部を、イマイチ理解してません。行ったことないし(行けるか)。「何か変じゃん」と思われた方、これはきっと呪が働いているのです…ということで〜(逃)。