熱情
「……浩瀚!」
初めに耳に入ったのは、王の悲痛な声だった。
翠色の瞳を大きく瞠いて、血の気を失った顔が痛々しいと思った。
近づく喧噪。
不安に揺れる空気。
「浩瀚!」
痛みに顔を顰めながら彼女の方を振り返ると。
唇が震えていた。
「……主上、何て顔をなさってるんです」
「だって、お前……」
浩瀚は、己の腕に刺さったままだった剣の切っ先を掴んで引き抜く。
鋭い痛みと共に、血液があふれ出た。
腕から滴り落ちる赤が、地面に急速に広がる。
「浩瀚様!」
桓堆が駆け寄るのを認めて、浩瀚は浅く息を吐いた。
傷口を手で覆って、厳しい表情でそれをみつめる桓堆に頷く。
「……大丈夫だ。心配はいらない」
桓堆は素早く浩瀚の腕を布できつく縛って、絶えず溢れる傷口も布で覆う。
「歩けますか、浩瀚様」
「……大袈裟だな。大丈夫だ」
「ともかく、瘍医(いしゃ)に」
立ち上がると、意識が酷く不安定に揺れた。それでも、官邸に戻って瘍医に説明した時までは、辛うじて意識を留めることが出来た。少し休むつもりで横になったら、酷く頭が重くて、吸い込まれるように意識を失った。
途切れた記憶の断片を繋ごうと意識を凝らしても。
闇が深くてそれは叶わない。
時々、自分の名を呼ぶ声が聞こえる気がして。
ひどくもどかしい。
何度も、その光景は繰り返される。
裁可を求める為に王がいる禁軍の訓練場を訪れた。そこで陽子は時々剣技を習っていたからだ。
浩瀚が王を探していると、練習を終えたのか、兵士と話している後ろ姿を見つけた。更に視線を巡らせると、演習場の中心では禁軍将軍である桓堆が、他の兵士に指導する姿も見える。
いつもの風景に、どこか安堵するような心持ちで王の方に歩み寄る。
その時。
ひときわ高い金属音がして。
そこからは、まるで視界が静止したかのように見えた。
演習場の端の方で、二人の兵士が打ち合った剣が交叉したのを視界の端で捉えていた。
その瞬間に、鋭い音とともに、一方の剣が折れて、切っ先がまっすぐ空気を斬りながら直線を描くのを見ていた。
その先に、王の後ろ姿があった。
彼女はその瞬間、僅かに後ろを振り返った。
漸く混濁した意識が澄んで、目を開けると、陽子が青白い貌をして覗き込んでいた。
「浩瀚!気が付いたのか……」
「……主上、何故ここに」
天井も臥牀も見覚えのある自室に違いない。夜も更けているのか、室内は洋燈の明かりがわずかに有るぐらいだった。
「……すまなかった」
陽子は、唇を噛みしめて、掠れた声でそう言った。
「貴方が気に病むことはない」
身を起こそうと腕に力を入れると、痺れたような痛みに眉を顰める。
そっと痛む腕を見ると、頑丈に包帯を巻かれているようだった。
「……でも、浩瀚は私を庇った」
「臣下が王を守るのは当然です。それに、腕を怪我したくらいで死ぬわけではない」
浩瀚をみつめる陽子は、眠っていなかったのか、目許にも憔悴が顕わだった。その中にあっても、烈い光を宿した瞳が、どこか艶めいて見えた。
陽子は苦痛を堪えるように、首を振って目を伏せる。
「酷い傷口だった。手首が深く切れていたから、出血がなかなか止まらなかった」
浩瀚は、それには答えずに、俯いて肩を震わせている陽子を見ていた。
仙の自分が腕に怪我をした程度のことが、一体どうだと言うのか。
あの時、手首の動脈を切断し骨までもが損傷しているのは明らかだった。そして、仙籍に入っていなければ、深刻な事態になっていたことも判っている。それでも、浩瀚にとっては、目の前の王を庇うことしか、出来なかったのだ。
あの時、あの剣の切っ先を止めることが出来なかったらと思うだけで、言いようのないい思いを抱く。
「……主上、私は大丈夫ですから」
怪我を負っていない腕を伸ばして、陽子の頬を撫でる。浩瀚を見上げる視線が一瞬揺れた。長い睫毛が透明な涙に濡れた。
「……本当に、すまなかった」
「お謝りになる必要は、ございません」
「でも……」
「私には、ああすることしか出来なかったのですよ」
浩瀚は、陽子の涙を指で拭う。
あのとき、頭のどこかで、彼女には使令が付いているかもしれないと思った。しかし、剣技の訓練をするときに、賓満をつけているはずもない。隠形した景麒の使令がいる可能性も有ったが、その可能性に安堵して傍観することなど出来なかった。
万が一にも、あのまま、自分の腕ではなく、彼女に当たっていたら……。
「ですから、そんな顔はなさらないでください」
浩瀚は陽子の背中を撫でて、ゆっくり引き寄せる。僅かに躊躇するそぶりをしながら、陽子はじっと浩瀚の胸に抱かれたまま、まるで心音を確かめるように、息を顰めて目を閉じていた。
静寂は闇に溶けて、永遠を感じさせるような、そんな一時。
「怖かった。もしも、浩瀚が死んでしまったらと思うと……」
「……私も、そう思ったことがあります」
「……内宰の事件のことか?」
「ええ」
あの事件のことを思い出すのは容易い。あの時、この王は内宰らを前に自らの命を投げ出したのだと聞いた。
その時の、言いようのない慟哭を忘れることは出来ない。
「……ごめん」
自分が居ない場所で、主が命を失っていたかもしれないという事実は、浩瀚にとっても現実だとは決して受け入れ難いことだった。怒り、焦燥、絶望、悲しみが同時に訪れたような気分だった。
だから、現実に苦痛を訴える傷など、取るに足らないことだ。
それを、今更ながらに思う。
もしもこの先、彼女がもう一度、その命を投げ出しても。
きっとそれを赦さないであろう己を知っている。例えそれが利己的な道理を押し付けることになっても。この国の民の全てが、陽子の「王たる資格」を問うても、彼女は浩瀚の王であり続ける。永遠に。
彼女を失いたくないのは、民としてなのか、男としてなのか。
「右腕、暫くは使えないね」
愛おしげに浩瀚の腕に触れる陽子のその手を取った。微かな衣擦れの音が、浩瀚の中に熱を生んだ。
「ええ、でも私は左手でも不自由ございませんから」
そうなんだ、と陽子が安堵の笑みを浮かべる。
「知らなかった。字も書ける?」
「ええ、支障ございません」
微笑んで、浩瀚は陽子の手を口許に近づける。桜色の爪に、口づけた。
「……貴方に触れることも、」
貴方の熱を、この手に感じることも。
2002.12.4 UP
◆有沢さまのお言葉より◆
めれーなさん、リクエストありがとうございました〜!!
というわけで、「陽子の危機一髪を救う浩瀚」でございました。
「黄昏の岸 暁の天」で、景麒が一番悲しかったんだろうなぁと思いつつ、
浩瀚さまもあのお説教には、それだけの想いが込められているはずですよね。
リクエストされたものを書いたつもりだったのですが、
無駄にいちゃついてますか?
無駄にいちゃついてる? 問題な〜〜〜しっっ!!(笑)
無理なリクをお願いしまして、申し訳ありませんでした^^;。
けど、どんなお話が出来るかな〜?vvと、わくわくvv。
出来あがったお話拝見して、もう、
見事にリクを書いて下さった有沢さんに乾杯です!!vv
それにしても…さすが閣下。両利きとは。つーか、足でも字が書けそうな勢いですわ(笑vv。
そして!!><v
後日アップされた関連話を二本も、同時に奪い取って参りました〜〜!!vv
有沢さん、ほんとにほんとにありがとうございます!!^^/
「心象」へv >>