淋漓

 

 

 

 廊下の奥から、こちらに向かって駆けて来る桂桂の慌てぶりに、浩瀚は何事かと訝った。
「あっ!浩瀚さま!陽子…主上が大変なんです!」
「どうかされたのか?」
「木に登ったまま、降りられなくなっちゃったんです」
「……木?」










 さすがに言葉を失った冢宰と共に、桂桂は庭院へと引き返した。
 根元はしっかりしているが、ひょろりと細く伸びた広葉樹の下へ案内する。
「…げっ!こ、浩瀚!」
 誰か人を呼んで来る、と言った桂桂が、まさか冢宰を連れてくるとはつゆ思わず、陽子は枝にしがみついたまま、地上にある、大小二人を見下ろした。
「素晴らしいお姿ですね、主上。一体、どうされたのです?」
「う…」
 嫌味だ嫌味だと、顔を顰めたまま窮する陽子に替わって、桂桂が申し訳なさそうに答えた。
「僕が、あの木に鞠を引っ掛けてしまったんです。葉が茂ってて、どこにあるのか判らなかったから、陽子が…主上が、私が登ってみよう、って…」
「…それで、勢い、登ったのはよかったけれど、怖くて降りられなくなってしまった…?」
「違う!」
「違います!」
 否定の言葉が、上下から響き、浩瀚は首を傾げた。
「───上着のどこかが引っ掛かってしまったようなんだ。さっきから手繰ってるんだが、あんまり強く引っ張ると…枝が折れそうで」
 なるほど、少女が抱きついている枝は、見た目よりもずっと弱そうだ。身じろぎするたびに、かさ、と音を立てて危なげに撓う。
「考えなしにそのようなところへ登るからですよ。桂桂」
 心配そうに見上げる子供に声をかける。
「誰か女官に…いや、祥瓊がいいな。祥瓊を探してきなさい。ちゃんと説明をして…梯子の用意を」
 はい、と、素直に返して、勢いよく駆けていく桂桂を見送ってから、浩瀚は陽子を見上げた。
「さて…主上。枝を折っても、上着を破いても結構ですから、そのまま飛び降りていらっしゃい」
「は?」
「私が受け止めて差し上げます」
「だ、だってさっき、桂桂に…」
「祥瓊が梯子を用意してここへやって来るまで、その枝は保ちませんよ」
 自分を見上げてにっこりと微笑む男に、陽子は顔色を変えた。
「…お、お前もしかして、はじめから…っ!」
 勢いよく半身を起こした瞬間、ぽき、と乾いた音が響き、陽子は宙に投げ出された。そのまま、浩瀚の下に───落ちる。
 所在不明だった鞠が、どこからか、ぽんぽん…と弾んだ。
 思いがけず、手中に収めた少女を、浩瀚は愛しそうにぎゅ、と抱き締める。
「ええと……離して…浩瀚」
「なぜ?」
「なぜ…って───私…汗臭い」
 うなじに光る、玉の汗。
「あなたの匂いなら、すでに存じております」
 さらりと答えた男に、陽子は驚いて身を捩った。
「ばっ…ばか!なんてこと言うんだ!」
「そうでしょう?……お互いに」
 顔を真っ赤にして睨みつける少女を覗きこむようにして、囁く。
 思わず息を呑んだ陽子を抱き上げ、浩瀚は静かにその場を立ち去った。
 ───折れた枝と、弾みきって転げた鞠を残して。









2002.9.13 了








 きよた家さんちの掲示板に書いた、突発話です^^;。
 …何でこんな話になったんだったっけ?と、記憶を辿ってみると(笑)、きよた家さんの「夏を」の感想で私が、 「延王って夏のイメージvv 浩瀚は汗掻きそうにないですよね」と書いたのが、 どうやら発端…?^^; で、その発言を受けて下さって、亜美さま「汗濡れ浩瀚」を 書かれ、すいまさま「汗濡れ浩瀚の次は、濡れ陽子が読みたいな」との『呪い』 を放ち、すかさずぽぺさま「汗濡れの小娘(白浩瀚)」を即答。そんで 「黒浩瀚はー?」(byきよた家さま)、「桂桂がいなかったらどうなったでしょうねえ(呪)」 (byすいまさま)と続き、僭越ながら、ウンウン唸って書いたものです(笑)。
 ちなみに、このままでは桂桂が可愛そうなので(^_^;)、一応フォローも書きました。 >>



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