夕映(せきえい)
午後の柔らかな光に包まれた玻璃宮はうらうらと暖かかった。下草の上にごろりと無造作に横たわった延王は玻璃越しに空を見上げた。光が溢れる青空は眩暈を誘うようで、延王はそっと目を閉じた。
瞼を下ろしたのと同時に、水の流れる音が強くなったように感じた。もちろんそんなはずはないのだが。如何に日頃視覚に頼って生きているかが思い知らされる。風すら吹かない玻璃宮の中で一人目を瞑っていると、水音はますます高く響き、轟き渡り、延王を押し包んで飲み込み、押し流すようにさえ思えた。
耐え切れずに目を開けると、そこは穏やかな玻璃宮で。涼やかな水音が優しくさらさらと歌う。
ここで陽子を待ったことなど何度もあるのだが、当の陽子がいない王宮でその主を待つのはどこか落ち着かない。玻璃宮に誰もいないのはいつものことなのだが、それでもこの暖かい場所が酷く空疎に感じられる。
主の留守に他国の王宮になど入り込んで、一体自分は何をしているのだろう。
延王は口の傍を上げて苦く笑うと、再び目を閉じた。
「陽子」
名君と呼ばれる男の口から零れ落ちた名を聞いた者は誰もいなかった。
気が付くと日が傾いていた。眠ってしまったらしい。
結局陽子は王宮に帰って来なかったのだろう。この時期、王は忙しい。今日の昼前には戻る予定で隣の州への視察に行っていると聞いたのでわざわざ今日やってきたのだが、金波宮に着いてみると陽子はまだ帰っていなかった。出迎えた官に依れば、途中立ち寄った郷城で無理に引き止められ、帰宮が遅れているのだという。待つとはいったものの、自分にもさして時間があるわけではない。これは出直すしかないだろう。
延王は溜め息を吐いて立ち上がり、ぱんぱんと服を払った。
忙しいのだから仕方がない。そんなことは分かっている。それでも、もしや疎まれているのではと不安になる。自分が押しかけてくるのが嫌で、避けられているのではないか、と。
なんと女々しい思い。
延王は己に呆れ、もの思いを断ち切るように玻璃宮を後にした。
駆け上がった蒼穹は、既に茜に染まっていた。正面には鮮やかな夕焼けの空が広がり、大きな夕陽が血のように赤い雲海に沈んでいくところだった。その燃え上がる炎の眩しさから目を背け、延王は目を休めるように後ろを振り返った。
背後には既に夕闇が迫っていた。紺青から藍へと色を変えていく空ではちらちらと星が瞬き始めている。その下に既に小さく金波宮の明かりが煌いていた。
と。何かがこちらに向かって空を駆けて来るのが見えた。趨虞の手綱を引き絞り、目を凝らす。
「‥‥王」
風の間に確かに声が聞こえた。
夕陽に顔を染め、赤い髪を落日よりもさらに輝かせて、妖魔の背に乗って陽子が飛んで来る。慌てて騎獣を返して延王が駆け寄ると、二体の生き物が交錯した瞬間、陽子がひらりと身を躍らせ、延王の腕の中に飛び込んだ。
「延‥‥王‥‥」
息を弾ませて旅装の陽子は延王を見上げ、その広い胸に頬を寄せた。
「こら、無茶をするな。落ちたらどうする」
暫し言葉を失った延王は、すぐに己を取り戻して言った。
「ごめんなさい」
身を離して陽子は素直に謝った。
「あの、ずっと待っていて下さったと聞きました。帰りが遅くなってすみませんでした」
見上げる陽子の視線に延王は優しく微笑んだ。
「いや、忙しいのだろう。仕方がない」
それだけで止めようとした言葉が、頬を撫でた髪の柔らかさに思わず低く続いた。
「度々訪ねて、迷惑ではないか」
陽子が驚いたように目を見開いた。
「そんな。いつも来てくださって、本当に嬉しいんです」
真っ直ぐに見上げる陽子の顎にそっと手を当て、延王は陽子の唇に自分のそれを重ねた。
軽く口づけ、囁くように告げる。
「ではまた来てもいいか」
「ええ、もちろん」
全ての不安を拭い去る陽子の笑顔。華奢な身体を抱き締め、延王は言った。
「ではまた来させてもらおう。帰りが遅れた分、仕事が溜まっているのだろう。今日は俺ももう帰らねばな。」
溜め息を吐きながらも陽子は素直に頷いた。乗ってきた班渠を呼び、趨虞から乗り移る。陽子がちゃんと使令に騎乗したことを確認して、延王は騎獣を再び帰路に向け直した。
「また来るからな」
「ええ、お待ちしています」
微笑む少女に手をかざして見せ、延王は沈んだ夕陽を追うように去っていった。
2003.3.10 UP
ぽぺさんちの サイトオープン半年記念小説を戴いて参りました〜!!vv
◆ぽぺさまのお言葉より◆
言いたかったのは「いつも来てくださって、ありがとうございます」です。
これを陽子に言わせるために尚隆に暗くなって貰いました(笑)。
んもうv、尚隆完璧に、陽子にメロメロvvって感じですわ!(*^_^*)
陽子が騎獣へ飛び移る、という突飛な行動に、
思わず動揺する尚隆が好きだったりvv。
こーいうことされりゃ、ホレた身としてはもう、たまんないでしょうねぇ〜〜vv
ぽぺさま、サイトオープン半年、おめでとうございます!vv ありがとうございました!!vv
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