「慶の塩の生産と流通について知りたい」
 いつもの授業の時間に陽子の口から飛び出した言葉に遠甫は目を細めた。
「これはまた急に。何かございましたかな」
「尭天の塩の値段が随分上がっているそうだ。もちろん浩瀚たちが手を打ってくれるはずだか、そう言えば私は塩の産地とかを全く知らなかったから」
 真っ直ぐに問い掛ける碧の瞳に遠甫は穏やかに笑った。
「よい心がけでございますな。もっとも主上が塩の価格についてどちらでお聞きになったのかは台輔にはお聞かせしない方がよろしいのでしょうが」
 陽子はぺろりと舌を小さく出し、情報の入手先に着いての言及は避けた。遠甫も問い詰めるような真似はせずに話を続ける。
「ではまず、主上は塩はどのように作られていると思われますかな」
 遠甫の授業は大抵がこのような一見遠まわしな問いかけでできている。答えは教わるものではなく、自ら考えねばならない。陽子は首を傾げながら答えた。
「海水には塩分が含まれているよな‥‥」
「左様。それは蓬莱も常世も変わりません」
「海水を乾かせば塩が取れる?」
 遠甫はにっこりと頷いた。
「その通り。他に岩塩と呼ばれる塩気を多く含んだ岩を砕いて水に浸して塩を精製する方法もございますが、そも慶国では岩塩は産出されませんのでこの方法は無理ですな」
「では、海水から得ているのだな」
「いかにも。ですが、これが簡単ではございません。海水に含まれる塩分は僅かに三分ほど。残りの九割七分の水分を乾かさねばなりません。これが意外に大変なのです」
「鍋に入れて煮詰めるわけにはいかないのか」
「そのための燃料が膨大なものになりますな」
「そうか‥‥」
「南の奏などですと日差しが強く照り付けますので、粘土質の地盤に浅い穴を掘りそこに海水を溜めておくと一・二年で自然に塩の塊ができるそうですが、慶では無理でしょう」
 陽子は暫く考えていたが降参したように尋ねた。
「では、一体慶の塩はどうやって賄われているのだ?」
「一部の海岸地域で細々と産してはおりますが、大部分が他国よりの輸入です」
「だって、塩は必需品だろう。それがほとんど?」
「いかに必需品であろうとも、産出しない物は輸入するより他にございません」
「そうか‥‥。輸入元は、奏ということか」
「もともとは巧の南部や奏といった南からの輸入に頼っていたのですが、現在は巧が荒れているためそちらの経路はほぼ壊滅状態でしょうな。今は雁からの物が主流になっております」
「雁から? 雁では岩塩が取れるのか?」
「いえ、柳や恭では岩塩が産するそうですが、雁にはございませんでしょう」
「ではなぜ慶よりも北にある雁で塩ができるんだ」
「さあ、あちらは乾いた条風が強い所ではありますが、それだけとも思えませんな。何か蓬莱仕込みの技術でもあるのでしょうな」
「そうか。今度延王がいらしたら聞いてみよう。とにかく、巧方面からの輸入が途絶えてしまったから価格が高騰しているんだな」
 確認するように言った陽子に遠甫は含みのある表情で答えた。
「根本原因はそこにあると言えましょうな」
 陽子はまじまじと遠甫の顔を見た。
「その言い方はまだ何かありそうだな」
「主上は専売という制度はご存知ですかな」
「ええと、蓬莱でも聞いたことがある気はするけれど‥‥」
「簡単に言うと、国がその品目を売買する権利を独占することです」
「?」
「普通の商品、例えば砂糖であれば、誰でも売り買いすることができます。砂糖の取れる作物を育てて成功した者がそれを売る。仲買人が買い付け転売する。そうやって物資は流通し、それを消費する者の手に渡る。専売品は違います。国に許された者のみが生産することができ、国が全て買い付け、国が運び、国に許されたもののみが販売する」
「何故そんなことを?」
「目的は大きく分けて二つありますな。そのものの利潤が大変大きい場合これを独占販売することで税の代わりに国庫が潤う。もう一つは国が介在することで安定した供給が図られる」
「なるほどな」
「蓬莱もつい近年まで塩は専売品だったと聞き及んでおりますが」
 陽子の頬が赤くなった。本当に私は何も知らなかったんだな、と呟きが漏れた。遠甫は敢えて何も言おうとはしなかった。上っ面の慰めの言葉など害にしかならないことを彼は知っていた。
「慶でも塩は専売なんだ」
 気を取り直した陽子が問う。
「左様でございます」
「その価格が急騰するっていうのはおかしいんじゃないか? いくら品薄だからって、供給が安定するように専売になってるんだろう」
 遠甫は頷いた。
「表面的には巧からの輸入が途絶えたためと見えなくもありませんが、それだけではありませんでしょう」
「というと?」
「途中で何者かが甘い汁を吸っている恐れがありますな」
「そうか」
 短く言って陽子は唇を噛んだ。
「もう一つ訊きたい」
 暫く考え込んでいた陽子が顔を上げて問うた。
「それは専売をやめたからと言って解決するわけではないのだな」
 遠甫は重々しく頷いた。
「急に専売制度を廃止すれば、市場の形成が不十分な慶ではごく僅かの力のある商人が僅かな塩を独占して、さらに値を吊り上げかねませんな」
「わかった。もう少し考えてみる」


 数日後、決裁書類を受け取りに現れた浩瀚を陽子は呼び止めた。
「浩瀚、尭天の塩の価格が上がっていることは知っているか」
 急な問いかけだったにも関わらず、有能な冢宰は即座に回答した。
「はい。今担当官の周辺を洗っているところです」
「流石だな。では、遠からず価格は下がるということか」
 陽子の問いに浩瀚は僅かに困ったように溜め息を吐いた。
「現在の担当官を断罪することは簡単なのですが、その後の人事に苦慮しております。位階が低い割にうまみの多い役職だけに、相当清廉な者でないと同じ結果に繋がりましょう」
「人材が少なすぎる、ということか」
 溜め息とともに陽子は呟く。
「これも私の人徳ということだな」
「そんなことはございません。官の育成には時間が掛かります。致し方ありません。当座はこちらからの監視を強めて凌ぐしかないかと‥‥」
「そしてまた浩瀚の仕事が増えるのか」
 自嘲するように言った陽子の顔を浩瀚は微笑んで見下ろした。
「私のことならご心配には及びません。まだまだ余力はございますよ」
 そんな浩瀚を見上げて、陽子は甘えたように笑った。
「じゃあその言葉に甘えてさ、一つ聞いてもらいたい思いつきがあるんだけど」
「よろしいですよ」
 浩瀚は一度手にした決裁書類を書卓に戻し、話を聞く姿勢を見せた。
「あのさ、塩の価格が高騰したのは巧からの輸入が途絶えたせいだって遠甫から聞いた」
「左様でございます」
「今現在慶に入ってきている塩はほとんど全て雁を通ってきている。もともとが慶よりもずっと豊かでその分物価の高い雁から必需品を輸入すること自体に無理があると思うんだ。今は延王のご配慮でうんと安くしてもらっているけれどね」
 浩瀚は黙って頷いて続きを促した。
「だからさ、慶でも塩が作れないかと思って」
「それは‥‥」
 浩瀚は困ったように口を噤んだ。できないと頭ごなしに止めるのは彼のよしとするところではないが、といって簡単に同意のできる問題ではない。
「この前六太くんが来たから聞いてみたんだ。雁の塩はどうやって作っているのかって。そしたらやっぱり蓬莱の技術を応用しているんだと言っていた。そのやり方を教えて欲しいって言ったらいいよって」
 浩瀚は呆れたように溜め息を吐いた。
「延台輔もまた‥‥。それは国家機密でしょうに」
「そうなのか」
「特産物の製法はどこの国も秘密にしておきたいものでございます。自国の大切な収入源ですから」
「そう‥‥か」
「台輔が気安くよいと仰せられたところで、あちらの官や、まず延王がお認めにならないでしょう」
「‥‥延王から鸞が来て、受け入れ態勢が整ったら技術者を送るから知らせろと言われたけど」
「なんと」
 驚く浩瀚を不安そうに見上げて陽子は訊く。
「私、そんなに非常識なお願いをしてしまったんだろうか。慶がいつまでもお荷物でいるよりは自国の民の必需品くらい自分のところで作れるようになった方がいいんじゃないかと思ったんだけれど‥‥」
「あ、いえ、延王が協力してくださると仰るのでしたらもちろん構いません。すぐにどこか海岸近くに‥‥」
 言いかけた浩瀚を陽子がおそるおそる遮った。
「あの、さ、聞いて欲しい思いつきっていうのはまだ言ってないんだけど‥‥」
 浩瀚は目を見開いた。雁の技術支援を取り付けたというだけで十分驚くべきことなのだが。
「あの、ね、塩の工場だけれど、別に海岸の近くじゃなくてもいいと思うんだ」
「と言われると?」
 海から離れれば原料の海水の輸送に膨大な労力が必要となるのは明白だが、浩瀚は敢えてそんな分かりきったことは口に出さなかった。
「常世の空は全て雲海で覆われている。州城や離宮のある凌雲山からなら雲海の水を下界へ下ろすことができる。上から下だから手間はそうかからないだろう」
「それは‥‥」
「試しに一個所でやってみて、うまくいったら慶全土に広めればいい。そうしたら輸送の手間もなくなるし、あちこちで作られるようになれば横領も買占めもできなくなるだろう」
「‥‥」
「そう思ったんだけれど、変かな」
 今度こそ言葉を失った浩瀚を陽子は自信なさそうに首を傾げて見上げた。


「それはそれは」
 日の当たる窓辺で茶杯を手にした遠甫は楽しげに笑った。
「流石主上は思いつかれることが違う」
「まったく。言われたすぐはこの私が言葉を失いました」
 向かい側でやはり茶杯を前に浩瀚が苦笑いした。
「延王が主上に甘いことまでは予想しておりましたが、まさか雲海の水を使うとは‥‥」
「主上はこちらの常識から自由じゃ。雲の上のものを民のために使うことに躊躇いがない」
 窓から流れ込む柔らかな風に目を細めて言った遠甫は、そのまま窓の外に目を遣ったまま尋ねた。
「ところで、いまだに慶はそんなに官が不足しているのかな」
 茶杯に伸ばしかけた手を止めて浩瀚はにやりと笑った。
「はい。私の力が及ばずまだまだとても人材が足りのうございます」
「とはいっても塩の専売を取り仕切る官すらいないとは思えぬが」
 止めた手を再び進めて茶杯を取り、ゆっくりと茶を含んでから浩瀚は笑った。
「お師匠様には何も隠せませんな。左様、その程度の官なら何とかなります。これまでの腐敗した王宮にやる気を失っていた、特に若手から志のあるよい官が現れ始めています。よい機会ですから若手を登用して様子をみようとは思っておりました」
「さては主上を試したか」
 不穏なことを穏やかな口調で遠甫は問う。
「試したとはまた畏れ多い」
 おどけて恐れ入ってみせたものの、浩瀚は敢えて否定はしなかった。暫し無言で茶を楽しんでから、浩瀚はぽつりと言った。
「塩の値の話題を主上から出されたとき、ふと思ったのです。もし手がないとお答えしたなら、主上は延王に泣きつかれるのだろうかと。一番簡単な解決方法は雁により多くの塩を優先的に安い値で供給してもらうことですから」
「一番簡単な愚策じゃな」
 遠甫が頷いた。
「ええ。延王が主上に肩入れなさっているのはありがたいことですが、それに頼ってばかりでは慶はいつまでも自立できない。延王もああ見えてもそうそう情に流されるお方ではないでしょうから、甘えてばかりではいつ見放されるか分かりませんし。正直、今雁に見放されては困りますから」
「お前でも雁の支援は切れないか」
 ほっほっほと笑いながら遠甫が言った。
「当然です」
 憮然とした面持ちで浩瀚は答えた。
「あと十年、いやあと五年で慶は立ち直り、他国の援助など必要としない国になるでしょう。しかし、今はまだ駄目です」
「お前も情に流されない男でよかったのう。主上の治世は当分安泰じゃろうて」
 何のことか分からないといった顔を作った浩瀚を見遣ってから、遠甫はまた窓の外に目を移して楽しげに笑った。柔らかな風がそっと遠甫の白い髭を撫でた。









2003.12.31 UP








ぽぺさまんちの5万ヒットキリリクゲット〜!!vv






◆ぽぺさまのお言葉より^_^◆
 めれーなさまの5万ヒットリクエストで、浩瀚の心理描写込み、お題は「塩」でした。
 いやぁ、固い、長い、動きがない、の三重苦。
私自身はこういう政策的なことを考えるのが楽しくて仕方がないんですが、読む方は苦痛かも。
実は凌雲山の外側に綱を垂らしてその上端を雲海に浸したら
毛細管現象でゆっくり流れ落ちる間に風で乾いて下につく頃には
結晶ができるのではないかとかまで考えてしまいました。
 ところで日本の塩の専売制度が廃止されたのが1997年、「月の影〜」上巻の初版が1992年で
その時陽子が16歳の優等生だとすれば、陽子は専売制度を知っていたような気もします。





思いがけないキリリクゲットvで(狙ってても取れた例がないのですTT)
浩瀚話前提ながら、何をお願いしようか迷った挙句の、お題「塩」。
「砂糖」なら、=甘 で、ラブな展開になりそうですが、「塩」って「砂糖」に対しての"味覚"の他にも、
人間の身体を形成するものの一つでもあり、砂糖より幅広い喩えに使えそうだと思ったので、
どんなお話が出来上がるのか、興味津々でした^^。
結果、ぽぺさん色炸裂(こんな表現…)の、行政話になって、とっても面白かったですv。
こんなヘンテコなお題ですいません…;。
にしても…そうか…今の若い子って、専売制度知らないんだ…(なんとなくとほほ/笑)
塩が専売品だったのは、誰でも作れるということから、
特に戦後、粗悪品が出回ったことに対する政策…というのも
理由の一つだったような記憶があります。昔は自分ちの塩は作ってたって話も聞いたことあるし。
勿論、「専売」は国の大きな財源の一つだったのでしょうが。
けど、結果、塩の味は落ちたんですよね…。専売じゃなくなってほんとによかったと思いますv。




ぽぺさま、ありがとうございました!vv


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