誘惑

 

 

 

 書庫の片隅で、男は少女を発見した。
 こんな所にいらっしゃったのか、と、胸をなでおろす。道理で、正寝中探しまわっても見つからなかった訳だ。
 とうに日も暮れ、明かり取りの為にある小さな窓は、もはや用を成さない。
 一体何を探していたのか。椅子に腰掛けたまま、暗がりの中で、少女はすうすうと眠っている。
(……何から逃げていたのか、と、言うべきか)
 この書庫に、少女が読める書物は、まだ多くない。なのに、奥まった一角に収まった少女は、慶という、「未知の国」に追い込まれている構図、そのものにも思える。
 声をかけ、起そうとした男は、一瞬躊躇った。








 壁に凭れ、穏やかに眠る少女の、その唇。
 規則正しい寝息が漏れる。
 暗がりの中で、その朱い華だけが、男の目を釘付けた。










 蜜に引き寄せられる羽虫のように、少女の傍に身を屈め、頬に手を添え、そっと唇を合わせる。
 ……ただ、合わせるだけのつもりだったのに。








 ぱち、と少女の瞳が開かれた。
「…浩瀚」
 寝起きとは思えぬ、明朗とした声で、男の名を呼ぶ。
 では、とうに意識はおありだったのか。浩瀚は、ふ、と口角の端を僅かに上げた。
 少女は、真摯な声色で続ける。
「これが、お前の望みか」






 いつか、問われた「賭け碁」の種(くさ)。
------『王に対してではなく、私個人に対しての望みはないのか?』
(あのことをおっしゃっておいでか)






「…軽蔑なさいましたか」
 自嘲の笑みを浮かべて、浩瀚は静かに問うた。
「私は」
 男を見つめる、美しい翠色の双瞳。
「…お前が、こうしてくれるのを、ずっと待っていた」
 浩瀚は、その言葉に、目を見開いた。
「そのようなことを口にしてはなりません」
 反動のように、ぴしゃりと答えた浩瀚に、少女は面白そうに眉を上げる。
「……意識のない女の唇は奪うのに、意識のある女の誘いは拒絶するのか」
「迂闊なことを口にしては…」
「今、私は、お前を誘惑している」
「主上」
「…誘っている」
(このようなところに追い詰めたのは、自分か…) 
 男の中で、何かが、弾けた。
 穏やかに言葉を選んでいるように見え、その実、精一杯の虚勢を張っているのがありありと判る少女を、黙って見つめた。互いの吐息が絡むほど、今、二人の間は近い。
 再び、少女の唇に口付けを落すと、浩瀚はもはや、己の欲望を飲みこむ事が出来なくなった。何度も何度も、執拗に、柔らかな唇を、ついばむように求める。
 椅子に腰掛けたままの少女は、突如剥き出された男の情熱に戸惑いながらも、目を伏せ、彼の口付けをただ、受けた。身の置き所に困り、震える手で男の両腕を掴む。途端、半ば強引に掻き抱かれ、温かい胸の中に収まった。
「…私は、主上が思っていらっしゃるような人間ではありません。それでもよろしいか」
「それは、私が決める事だ。もしそうなら、私の見る目がなかったということだろう?」
 少女がそう、話し終える間もなく、その唇を塞ぐ。僅かに開いた唇の間に己の舌を割り込ませる。
 深い、口付け。
 突然、自分の口腔に侵入した未知の感覚に、少女はどう対処していいか判らず、眉を寄せ、目をぎゅっと瞑った。身を捩ってみようとしたが、一層締め付ける腕の力から決して逃れられないのだと知るだけ。口の中を這い回る男の舌に、身体が震える。息の継ぎ方さえ判らず、男の口の中でうう、と息をつく。
 自然、甘くなってしまった自分の声に、少女は驚いた。顔に血が上る。
 自分の中に落された声で、浩瀚は少女の未熟さに初めて気付き、そっと唇を離した。舌で少女の唇を拭う。
 その仕草が、益々羞恥心を呼び、少女は反射的に自分の口を手で覆い、顔を背けた。
「……すいません、つい」
 しかし、その先の言葉が見つからず、戸惑う男の腕の中で、彼女は、くつくつ笑んでいる。
「主上…?」
 怪訝そうに声をかけると、少女は笑ったまま、ふわりと、男に抱きついた。
「雑誌とかドラマの情報とか、クラスメイトの噂話とか、映画でのお話だけ、だったもんなあ。これがフレンチキスとは」
 さっぱり訳が判らずも、男は少女を、そっと抱きしめた。
「…ご不快ではございませんでしたか?」
「ちょっと驚いただけだ。私は…こういうことは、初めてなんだ。浩瀚は…大人だな」
「私も…男でございますから」
 その科白が、暗に、自分の遍歴を指しているのかと思った男は、そう呟いて言葉を濁し、少女の耳元で囁いた。
「よろしければ、私が全て、お教え致します…主上」
 男の胸に顔を埋めた少女は、微かな声で「うん」と答えた。









2002.7.9 了








 このまま永遠に止まらない恐れがあるので(爆)、ここらで一旦終了〜(ヲイ?)。タガが外れた浩瀚、セクハラ極まれり!(いんや、…合意?^_^;;)
  賭け碁の話が出てきますが、時系列的には、「勝敗」の後。そんで、この後「畏怖」に続くのでは?と思われます(って、人ごとかい)。
 人さまのイチャイチャ話を読むのは好きだったんだけど、自分で具体的に書いたのは、これが初めてでした。…結構テレるのね(←このイチャイチャ程度でテレててどうする!?って感じでっか? いやん、ほら私、純情だから〜(←年齢制限により却下))。


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