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*小さなイベント 「……ねぇ?」 僕の隣の席――つまりは彼女自身の席――に座りながら、いかにも手持ち無沙汰です、とでも言っているかのように足をぷらぷらさせていた佐藤さんが、手の甲に顎を乗せたまま此方を向いた。 此処は本庁の捜査一課の部屋で、まして自分の部屋でもないのだから手持ち無沙汰になるような事はまずないのだけれど、とっくに書類を書き終え、僕をただ待っているだけの彼女はどうやら本当に暇らしい。 それならば、まだ残っている他の書類を書けばいいではないか、と思うだろうが、ここ一、二日は特に大きな事件も起きず、珍しく平穏な日々を送っていたので残っていた書類も全て書き上げてしまったようだ。 一方、僕は抱えていた事件に発展があって、そちらの方にばかり気を取られていたせいで報告の書類は溜まりに溜まり…そして今に至る。 今日は定時上がりだし、本当は今直ぐにでも彼女と一緒に家に帰りたいのだけれど、提出期限が迫っているものをほっぽりだして帰るわけにはいかない。 例え彼女と一緒に家に帰るのが久し振りだとしても、だ。 「何ですか?」 ペンを走らせている紙からは視線を逸らさず、僕は俯いたそのままの姿勢で返事を返したのだが、佐藤さんはそれを取り分け気には留めなかったようだ。 恐らく、事件関係の話ではないのだろう。もし事件の話ならば、仕事熱心の彼女が足をぷらぷらさせたまま……少し退屈そうな声で話しかけてくる筈はないから。 「十月って、何かイベントとかあったっけ?」 「へ? …イベント……?」 机の上から何かを手に取った気配がしたから、てっきり携帯に表示された時刻を見て僕の手を少しでも早めようとするのかと勝手に思っていたが、どうやらそうではないらしい。思いがけない質問に、思わず書類から眼を上げて彼女を見る。その手には、卓上カレンダー。 日付がわかりやすいように黒と赤の字で数字だけが並んでいる、シンプルなデザインのものだ。ちなみに、僕も似たようなものを使っている。 いきなり何を、と頭の上に思いっきり疑問符を飛ばしまくっていた僕をチラリと見遣るなり再びカレンダーへと目線を移して、うん、と頷いた。 その表情は、何かを考えているようで。 イベント…?イベントって云うと、クリスマスとか雛祭りとか、そういう類のものか…?予兆も無しにいきなり話題に飛び出した単語を頭の中で繰り返し、それに関連するものを思い浮かべるが、イベントと云われてもそれくらいしか思いつかない。…それに、思いつくのは思いつくが、年中無休に等しいような、忙しい毎日を送っている自分達には無縁なもののような気もするのだ。 いくら世間がクリスマスだ、お正月だ、と騒いでいても、その日に休みを取れる確立なんてとても低いのだから。 でも、自分だって、例えば12月25日をクリスマスらしく過ごしたくない訳ではない。勿論、人並みには楽しみたい、と云う気持ちもあるのだ。(そしてその想いは、佐藤との距離が近付いて大切な存在になるにつれ、一層強まっていたりもする。) 自分にそういう考えがあるから、もしかしたら彼女もたまにはイベントをイベントらしく――…と言えば少し語弊があるかも知れないが。――過ごしたいのかも知れない。 だから、こんな言葉を口にしたのかも。 書類と格闘し続けて少しだけ疲れを訴え始めていた頭を必死に動かし、そんな結論に辿りついた高木は、佐藤の顔を覗き込むようにして口を開く。勿論、こんなことが出来るのは周りに人がいないからだと云うことを、ここで伝えておこう。 「イベントに参加したいんですか?」 「うーん…そう云う訳でもないんだけど…」 違うみたいだ。再び、頭の中で疑問符が回り出す…その前に。 「今日って十月最後の日でしょ」 コン、と綺麗な指先がカレンダーの『31』を示す。確かに今日は十月最後の日、三十一日だ。けど、それがどうかしたんだろうか…? 「九日は体育の日よね。でも、それだけじゃなかったような気がするんだけど…」 ふむ。何だか言いたい事がだんだんわかってきたぞ?なんとなく霧がかかったようにもやもやしていた頭の中が、ちょっとずつ晴れていく。 今日は十月最後の日で、明日からは十一月。九日には体育の日があって、その日は祝日だった。(僕達は当然のように仕事だったけれど。) しかし、彼女が言うには、十月には他にもイベントがあったのではないか…と言う事らしい。そう云われてみれば、何かあったような気がする。 これが、十年前…高木がまだ学生だったころであれば、直ぐに思い出していたであろうことなのだが、今は刑事となり、多忙な毎日に追われて曜日、時には日付さえもわからなくなるときもある。そういう訳で、高木も、勿論同じ職業である佐藤も直ぐには思い出す事が出来なかった。 そして、佐藤のカレンダーに書かれているのが数字だけで、"体育の日"などと、他にちょっとした何か(例えば祝日とか。)が書かれていれば思い出す必要さえも無かったかも知れない。 いや、その前に彼女が話題にすることもなかったかも。 うーん…と、二人して背もたれに背中を預けながら眉を顰めている場面は、傍から見ればかなり変テコなものだったであろう。 だが、悩んでいる本人達は至極真面目なのだ。一つ疑問に思ったことが出てくると、それを解決するまで他のことが全く手につかないのは、仕事柄か、それとも個人の性格か。 それらを証明できる人は残念ながらこの場には居ないため、取り敢えず結論は保留としておこう。 とうとう真剣に考え出したのか、腕を組み、考える時のいつものクセで顎に指をあて始めた頃(この癖はいつの間にか、二人共通のものになっている。)、ガサガサと、静かな夜にはそぐわないような騒がしい音を立てながら、誰かが部屋へと入ってきた。 「どうしたんだ?お前。佐藤さんまで…」 片手に近くのコンビニの物だと思われるビニール袋をぶら下げ、不思議そうに首を傾げた人物は高木と同期で仲の良い友人でもあり、そして佐藤にしてみれば後輩にあたる千葉巡査部長、その人。 声を掛けたにも関わらず、よっぽど真剣に悩んでいるらしく返事を返さなかった高木と佐藤に、ますます疑問の色を濃くしながらも彼は自分の机へと戻って袋を置く。 ややあって袋の中をガサガサと漁りだしたかと思うと、千葉はその中から一つを取り出し、佐藤へと真っ直ぐに差し出した。 差し出された佐藤はと云えば、不意に目の前に現れた物体をまじまじと見詰めると、持ち主…この場合は千葉へと視線を移す。 「どしたの?これ…」 首を傾げながらも佐藤が手を伸ばすと、千葉はニカッと笑って彼女の掌にその物体を乗せた。オレンジ色で綺麗に彩られたカップで、中央には大きめの字で『かぼちゃプリン』と書かれている。 佐藤が首を傾げるのも尤もだ。彼が食べ物を持っている事自体は別に変わったことでもないし(寧ろ日常茶飯事だ。)、それを疑問に思うこともないのだけれど、彼が食べ物を人に渡すとなれば、それはとても珍しいのである。入庁当時からの知り合いである高木でさえも、彼が人に食べ物を渡しているところを見たことはまずなかった。 「この前、俺が間違って佐藤さんのもの食べちゃったじゃないっスか。そのお詫びです」 そう言われたところで、彼女は漸く納得したように頷いた。 ほんの三日前、佐藤がちょっとした用事で外に出ることになった時。 高木が序でに立ち寄ったデパ地下で買ってきてくれた、そのプリンを慌てていた彼女が間違って隣の高木の机に置いてしまったのが運の尽きで。 てっきり高木のものだと勘違いした千葉が、それを食べてしまったのだが、どうやら彼はそのことを覚えていたらしく(尤も、帰ってきた佐藤にあれだけ拗ねられてしまえばいくら千葉でも忘れる筈はないのだが。)、このプリンはその時のお詫びらしい。 「丁度今日がハロウィーンだからですかねぇ、色んな種類のが売ってましたよ。他にもケーキとかもあったんスけど、それが一番おいしそうだったんで」 自分の席へと腰を下ろし、一緒に買って来たメロンパンの袋を破りながら千葉がそう口にした瞬間、佐藤と高木が同時に、あ!と声を上げた。 声を上げたかと思うと、二人してそっか、ハロウィーンかぁ…などと言い出すものだから、千葉の頭の上には再び疑問符が回りだす。 「な、なんだ……?」 そして、まるで何ごともなかったかのように書類へと向き直った高木と、笑顔で千葉へと礼を告げる佐藤。その礼がプリンにあるのか、思い出させてくれた事にあるのかまではわからなかった。 二人を見比べてみても、情報は何も得られなさそうだ。勝手にそう結論づけた千葉は、美味しそうな匂いを漂わせるメロンパンに噛り付いた。 うん、美味い。 やっぱあのコンビニのパンは美味いな。 ――ハロウィーンの夜の、ほんの小さな出来事。 fin. /20061031 |