*心の音




ほんの少しだけ癖のある足音を感じて、暇潰しに読んでいたこの間由美から借りた――もとい、押しつけられた―ファッション雑誌から玄関へと視線を移す。


元々、佐藤は服にはあまり興味がなく(雑誌もファッション系のそれよりも食べ物がたくさん載っているようなグルメ系の方が好きだ)、デザインがどうこうと言うよりも動きやすくて丈夫であればそれでいいと思っている節もあるのだけれど、彼女の親友である由美は決してそうではない。
その証拠に、普段は勿論制服を着用しているものの非番になれば それこそ雑誌の読者モデルが着ていそうなおしゃれな服を身にまとってショッピングや遊びに出掛けることも多々ある。
だからこそ、この雑誌を半ば無理矢理に渡されてもなおあんまり読まないからと言って返そうとする佐藤に溜め息混じりにこう呟いたものだった。


「あんたはいいもの持ってるんだから、それを存分に生かしなさいよ」


まぁ、言われた佐藤本人は由美の言葉の真意が汲み取れずにただただ首を傾げるばかりだったのだが。


ややあって足音がドアのすぐ前で止まり、ポケットから鍵を引っぱり出したのか金属同士がぶつかり合う音がしていたかと思えばややあってドアが開き、高木が姿を現した。
警察学校の時の同級生数人で飲みに行っていたらしいのだが、そこは一課のメンバーで飲みに行っても自分のペースを崩すことのない高木らしく、今日も“ほろ酔い”程度で帰ってきたようで、表情だけを見ればそんなに普段と変わりはない。


その姿を認めた佐藤がおかえり、と声をかけると幸せそうな笑顔でただいま、との声が返ってきて(この時の笑顔がとても好きだ、と佐藤は思う)。
カーペットの上に直に座り込んで雑誌を読んでいた佐藤に近付くまでの間に持っていたカバンと上着を置くと、直ぐ傍に腰を下ろした。


「楽しかった?」
「はい」


地べたに置かれていた佐藤の手を捕まえては甘えるように、外の空気で少しひんやりとしている指を絡めてくるのを受け入れてやりながら尋ねると、こくりと小さな子どものように頷いて今度はもう片方の手を肩へと伸ばしてくる。


「高木くん?」


いつもはこんな風に、あからさまには甘えてこない。
なのに今はいつになく、とてもわかりやすく甘えるような仕草を見せるものだから。
そんな彼を疑問に思ってその名前を読んだ時には、既に佐藤の視界は変わっていた。
絡めた指はそのままに、半ば押し倒されるようにして仰向けに寝転がった佐藤の目前には真っ直ぐにこちらを見下ろしてくる高木の顔。
顔の距離は、近い。


ほんの少しだけその茶色がかった瞳が熱を帯び 潤んでいるように見えるのは果たしてアルコールのせいだろうか。
いつもの彼のそれとは違う、“二人きり”の時にしか見せないその瞳にそれまで一定のリズムを保っていた筈の心音が加速し始める。


少し伸びた高木の前髪の毛先がさらりと微かな音を立てて佐藤の額を擽るかのように触れる。
その感触がくすぐったくて、目を細めた。


「美和、」


不意に名前を呼ばれて、佐藤の心臓が一際大きく音を立てた。


佐藤の名前を呼ぶ時、高木はいつも とても愛おしいものを見つめるような瞳で、柔らかい表情で、優しい声色で本当に大切にその名を紡ぐ。


もしも音に色があるのならば、それはそれは綺麗な色だろう。
柔らかく、そして優しい色だろう。
高木に名前を呼ばれる度、佐藤は彼の唇によって紡がれた一音一音を透明な瓶に詰めて、永遠に誰の目にも触れない場所に仕舞っておきたいと思う。


その表情に、声に。
今度はキュッ、と心臓が締め付けられるような息苦しさを感じてゆるゆると息を吐き出す。


そんな、決して嫌ではない息苦しさに気付いているのか、いないのか。
口元に小さな笑みを浮かべた高木は今度は上半身を屈めて佐藤の黒髪を避けると耳に、首筋に唇を寄せてきた。


予想だにしていなかった、敏感な部分に熱い息が、唇が辿っていく感覚に自分でも意識しないうちに唇から零れ落ちそうになる甘い声と微かな身体の震えを堪えるように、繋がれたままの大きな掌をキツく握り締めて。


「…っ、するの……?」


小さく、本当に小さくだけれど問うた言葉に返事はない。


――数秒間の、沈黙。


それまではきっと足で支えていたのだろう。
大して感じていなかった高木の体重が一気に身体全体に掛かり、一瞬息が詰まった。


「ちょ、っと、…高木くん!」


見た目は細身なので体重もそんなにないように思われがちだが、(千葉が横に並んでいることが多いせいもある)実は筋肉が身体全体に、それもバランスよくついているため案外、重いのだ。
そんな体重を薄いカーペットの上で一気に受け、言葉も途切れ途切れになりながらもなんとか顔だけを動かして自分の首筋に埋められたままの表情を窺ってみる。


「…もう、」


こんな寝顔見せられたら、何も言えないじゃない。
心の中でこっそり呟いて、空いていた方の手でそっと頭を撫でた。
無防備な寝顔には、さっき不意に見せた“大人”な雰囲気は一切なく、ただただ子どものように無防備で。
普段はあまり思うことはないが、この寝顔を見る度に彼が童顔なのだと言うことに気付かされる(当の本人は気にしているようなので、決して口には出さないけれど)。


流石にずっとこのままというわけにはいかかないけれど。
もう少しだけなら。


見た目よりも柔らかい髪に指先を絡めて、小さく笑む。


子どものように無邪気に笑ったかと思えば不意に大人な顔を覗かせるのも、 温かい大きな掌も、優しい声も、笑顔も、高い身長も、全部全部、好きだと思う。
本当に大切にしたいと、心から思う。


その時、高木の唇が小さく動いて、佐藤の名前を呟いた。
起きたのかと思って顔を覗いてみるものの、起きた様子はなく、瞼は閉じられたまま。
どうやら寝言らしい。


「タイミング、良すぎでしょ」


けれど、こう言うところも、愛おしい。


不意に呼ばれた自分の名前に再び鼓動が早まった(いい加減なれなければ、とも思うのだけれど)心臓を落ち着かせるように、ひとつ大きく息を吐き出して。
一定に繰り返される彼の寝息に導かれるように、そっと瞳を閉じた。




(ほら、)
(また。)


(“好き”が、積もった)





fin. /20101227


美和さんの高木に対する“好き”の気持ちを出来る限り詰めてみたかったんです(←感想?)
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