暖冬だなんて言われていた割にここ最近ぐんと寒さが増して、やっと本格的な冬到来だな、なんて思った頃には街中はすっかりクリスマス仕様。
所々の店頭に備え付けられたモミの木(中には本物ではないものもあるけれど、それはそれでいいものだ。)には小さなプレゼントやら、真っ赤な帽子を被ったサンタさんやらトナカイやら、金色の真ん丸な玉とか赤や緑にピカピカ光るライトとか。色んなものが所狭しと飾られて、道行く人々の目を楽しませている。
道を行き交う人の中には、子どもへのプレゼントなのだろうか、カラフルな包装紙に包まれた袋を大事そうに抱えて早足で歩いている人も居れば、親子で繋いだ手を楽しそうに揺らしながら笑顔で何かを話している家族もいるし、学校の友達同士か、制服の上にコートを来てわいわいとはしゃいでいる高校生も居る。
みんなそれぞれ共に過ごす相手は違えども、一人ひとりが今日という日――年に一度のクリスマスを楽しんでいるようだ。




With you  前編




クリスマスと云う特別な日に何処となく浮かれた雰囲気が流れている街中であるが、警視庁捜査一課の一室では高木が真剣な目付きで大量の報告書と格闘していた。
一枚目を書き始めたのが三時過ぎだから、もう四時間ぐらいになるだろうか。書類を作成するための資料ファイルは指でほんの少しでも突っつけば倒れてしまいそうなほど机の上に重ねられ、今にも隣の佐藤の席に雪崩を起こしてしまいそうな位であるが、その彼の隣の席である佐藤本人は、昼から非番である。(尤も彼女が今この場に居れば、倒れそうよ、とでも一言忠告してくれてこんな状況にはならなかったのであろうが。)
クリスマスなどの大きなイベントがある日の前後や当日は、比較的事件も多くなる傾向があるのだが、どうやら今年はそうでもないらしい。
少なくとも、佐藤が非番の日を返上することにならなかったのはそういうことだろう。


なら、自分の今の状況は一体なんなんだ。
既に四時間以上も机に向かい続け、しかも席を立ったのは冷めたコーヒーを入れなおした、その一度だけ。
そろそろ集中力が切れそうだし、ずっと座りっぱなしのせいでいい加減肩も腰も痛い。いくら捜査一課で一番若手だからと言って(ちなみにもう一人若手がいることにはいるのだが、そのもう一人は食べ物が切れるとたまに役に立たないことがある。…まぁ、これはちょっとした余談なのだけれど。)体が痛まない訳ではないのだ。
そりゃあ、年配の刑事に比べれば長時間のデスクワークも割と時間をかけずにこなせるほうだけれど、別に好きでやっているわけじゃない。どっちかと云うと現場を駆け回ったりするほうが性にあってるとも思うのだ。
高木だって、今日は六時過ぎには上がれる筈だった。それなのに予定より一時間過ぎて、未だに書類を書き続けているとはどういうわけだ。
四時間連続でフル活用して少し疲れを訴え始めた頭でぼんやりと考える。
知らず知らずのうちに眉間に寄り始めていた皺を解すように指を当て、手にしていたボールペンを指先で器用に何回かくるくると回す。
事件現場で考え事をしている時にも腕を組む、という癖がある高木だが(その癖が佐藤と同じだと云うことに、彼はつい最近気が付いた。)、デスクワークの時には考えに没頭し始めると、ついついペンを回し始める。どうやら学生時代の時からの癖らしい。


(……疲れた…)
小さく溜め息を吐いて背凭れに思いっきり体重を預けると、微かな音が辺りに響いた。そのまま辺りをきょろきょろと見回してみても、部屋に居るのは高木を除いて3、4人。
どうやら皆それぞれに仮眠を取ったりしに行ってるのだと思うのだが、実際のところはよくわからない。
同じ捜査一課に所属しているとは言え、一緒に行動する以外の時は全員が色んな事件を掛け持ったりしているため、空いた時間には自分があたっている他の事件を解決するために聞き込みに行ったり、過去の資料を探ってみたり。必ずしも仕事が一緒だと云う訳ではないのだ。
佐藤とコンビを組むことが多い高木も、彼女が他の事件を調べているときは一緒に居ないし、反対に自分自身が別の聞き込みに行ったりする場合もある。
そしてその間は彼女が何をしているかなんて全くわからないし、そんなことを気にしている暇もないことが殆ど。
だから、他の一課の同僚が今何をしているかはわからないのだけれども……誰も居ないことに、何だか嫌な予感がするのは気のせいか。
賭け事に関しての勘は余り当たらない高木であるが、自分の明暗を分ける時の一発勝負のじゃんけんだとか、嫌な予感に対しては非常に良く勘が働く。
実際、千葉と飲み代の割り勘の比率を決める為にじゃんけんをする時(この二人、一緒に飲みに行くと何故かはわからないが均等に割り勘はしない。4:6だとか、時には2:8だとか。きっちり半分にしてしまえば楽なのにねぇ。)にも勝っていたし、佐藤に関してのことで取調室に連れ込もうとする白鳥率いる佐藤ファンクラブの面々の手からも、その勘で何度か逃れた事もある。
尤も、素晴らしい勘も彼等の作戦の方が勝っていれば役には立たないのだけれど。今のところ、勝率は1割ほど。簡単に言ってしまえば殆どが負けて取調室に入れられてしまうんだけど…たった一割、10パーセントだとしても彼にしてみれば逃れられるに越したことはない。
たった一割、されど一割。
決して自慢できることではないが、一課の佐藤ファンクラブの面々の取り調べに黙秘を通して耐え切れる程の力はあまりないのだ。
勿論高木も刑事であるし、取り調べをすることもあるから決して素人ではない――取り調べを受ける事に関しては何度やっても慣れない―けれど、彼をプロと言ってしまえば相手は更に上のプロなのだ。取調べのプロ。聞き出した情報の数はもう数え切れない程。
だから、一度取調室に入れられてしまうと、黙秘を通し続けて出て来られることは不可能に近い。


と、大分話はそれてしまったけれど、何と無く嫌な予感がした高木はもう一度書類に視線を戻して、気力を振り絞り最後の三行を書き終えた。
予感が完全に当たる確信は彼にもないが、書類は早く書き終えてしまうに限る。
…ちなみに、この書類は高木がちょっと席を立ったうちにいつの間にかこれでもか、と云う位に増えていたものである。
彼はそこにも何かの陰謀を感じたのだけれど、愕然としたまま辺りを見回してみても誰もいない。文句を言うにも相手が居なければ言えないのだから、非常に不本意ではあるが、彼は律儀にもたった一人で大量の書類を完成させのだ。
まぁ、高木だってこんなことになるだろうな、と少しは予想していた。
今日はクリスマス、そして佐藤が午後から非番だとすれば、定時上がりである(実際には既に過去形になってしまったのだが。)高木に佐藤とデートする予定があることぐらい誰にだってわかる。
そう、わかってしまうくらいに彼らの関係はいつの間にか広まってしまっていた。…その情報源が一体何処なのかはわからないけれど。
だから、その予定にいち早く気付いた白鳥含む、佐藤ファンクラブのメンバーは少しでも高木の帰りを遅くする作戦にしたらしい。
勿論、いつの間にか増量した書類も怪奇現象ではなく、彼らがしたことだ。
こうなってしまうと高木がとてつもなく可哀想に思えてくるけれど、捜査一課のアイドル的存在である佐藤と恋人同士になった時点でこうなる運命に決まってしまったのだから、そこは男らしく(?)潔く諦めてもらうしかない。


そして話題の佐藤ファンクラブのメンバーはと言えば。
3、4人しか居ないと思われていた部屋の中には、実は10人程が潜んでいた。言わずもがな、全員がかのメンバーである。
机の下に、お世辞でも小さいとは云えない体を必死に折り曲げて息を潜めている者も居れば、高木からは死角であるソファーの上で膝を抱えている者も居る。
そしてその誰もが、無線機を手にし、耳にはイヤフォンのような物が付けられている―恐らく、他の部屋に居るであろう本部(いつの間にかここまでの規模になってしまっていたのだが、本庁内だけでこれだけの大きな、もう組織と言っても良いほどなのに他の所轄などを含めたら一体どれくらいになるのだろうか…)との通信用だろう。
勿論高木が目にした3、4人は、彼が怪しまないようにするが為のカモフラージュ。
いくら今日が平日より割と平和な日で、大きな事件が起こらなかったとしても流石に部屋に誰もいなければ変だと思うだろう。そこまで暇な時間がある仕事なんかじゃないのだ。



誰も居なければ疑う、とそんな深いところまで考えに考えて行動するのが彼らの凄いところだ。何度も云うが、流石プロである。
その時、机の下で息を潜めながら高木の様子を窺っていた刑事が無線へと口を寄せ、何やら小声で呟いた。
「こちらA、高木が書類整理を終えたようです」
そしてその声が届いた先は使われていない取調室。一課の部屋にいた刑事達と同じ様に無線を持ち、イヤフォンをしている白鳥を中心に、強面の刑事たちが送られてくる映像に鋭い視線を向けている。…どうやら今回の本部はこの取調室らしい。
パソコンやら、見たことのないような機械とか、一目見るだけで素人でも最新機器だと分かるそれらを何やらカチャカチャと弄りながら、白鳥は不適に微笑んだ。
「思っていたより早かったですね……これも佐藤さんとの待ち合わせに遅れないようにするためでしょうが、そうはいきませんよ…」


― ― ―


やっとの事で書類を完成させた高木はさっきまでの行動とは一変、ガバリと音が付きそうな勢いで椅子から立ち上がると、その拍子で揺れ始めたファイルを腕で抱えると元の場所へと―この場合は資料室だ。――戻し、書き終ったばかりの書類を纏めて目暮の机の上へと置いた。
此処までは順調。テキパキと帰るための身支度を整えながらも、高木はそんなことを思った。
恐らく、自分がこの後彼女とデートをすることぐらいとっくに知れ渡られている。
彼らに気付かれない様に計画を立てようとしても、それに気付かないくらいのちゃちな集団でも無い…と言うことは彼らはきっと既に何らかの行動に出ている筈だ。
「えーっと……」
コートに袖を通しながら、まるで何かを探しているかのように辺りを大きく見回すと、近くの机から何やら小さな音がした。
ちなみにその音は、机の下で高木の行動を監視し、そしてそれらを本部へと送るために小さなビデオを回していた人物が、急に此方に気付きそうになった高木に驚いて立ててしまった音である。
慌てて体勢を立て直し、改めて高木へと小型ビデオを向けると、さっきまで此方を向いていた筈の彼はとっくに机へと視線を戻し、何やら帰り支度をしている。
危なかった、とビデオ係を任された山樹刑事は小さく安堵の溜め息を吐いた。


一方、その高木。
机に置いていた携帯や財布をポケットに突っ込んで、他に忘れ物がないかどうかを確認すると、そのまま入り口へと歩を進める。
さっき見回した時に聞こえた音は、多分自分が急に振り向いたせいで誰かが驚いて立てた音だろうから、と言うことは、今のこの行動もビデオか何かで監視されてるはず。
此処まで推測できるほどになっている自分が何だか可笑しくて、無意識のうちに苦笑いが毀れた。
忙しい仕事を毎日しているなかで、佐藤とデートできる日なんて殆どなくて、急な呼び出しでそれがおじゃんになってしまうこともしばしば。
だから、そんなに言うほど何回もこういう風に監視を受けたりすることはないのだけれど、それでも三、四回とされていると自然に慣れてくる。
音を聞いただけで監視されていると云うことに気が付くくらいには、慣れてしまった。…それが幸か不幸かはわからないんだけど。
そんなことを考えながら、廊下へと一歩踏み出すと、其処には高野が僅かに引き攣った作り笑いを浮かべながら立っていた。
「よぅ高木、もう帰るんなら付き合わねぇか?」
言わずもがな、付き合うという言葉の前には”呑みに”というものが省略されている。うっすらと笑みを浮かべながらもじりじりと威圧的に迫ってくる高野に冷や汗をかきながらも、高木は一歩、二歩と後ずさった。
「いや、あの……」
此処で、佐藤さんとデートがあるから無理なんです!とはっきり言えてしまえばどれだけ楽だろうか。
たらたら伝うと嫌な汗を背中に感じながらも、そんなことを思った。
いや、言えたとしても…言ってしまえば直ぐに何処からともなく現れた佐藤ファンクラブの面々に取り押さえられ、そのまま取調室へと連れて行かれることは目に見えている。それなら、と下向きになりかけていた顔を真っ直ぐに高野の方へと向けた。
何か上手い切り抜け方は無いだろうか。顔は上げながらも目線だけを辺りに向けると、丁度コンビニから帰ってきたらしい千葉が向こうから歩いてくるのが見えた。
その距離、後、10メートルぐらい。
いや、だのあの、だのと曖昧な返事を繰り返しながらも千葉が傍にやってくるタイミングを計っていた高木は、丁度彼が隣を通ろうとした瞬間に腕を掴み、高野の前へと勢い良く突き出した。
「うぇ!?」
「千葉が行きたいって言ってましたから、行ってやって下さい!」
それだけの事柄を早口で告げると、さっき千葉が歩いてきた方向とは違う方へと一目散に走った。ちなみに最初に聞こえた声は千葉の声だ。
廊下を走ってはいけない、とは小学校の時に習う文句。いつもならそれを大概守っている彼も、今回だけは気にしている暇もなかったらしい。
割と人通りが少ない方向へと走ったのも良かった。今日の高木は冴えている様だ。
後ろから聞こえてくる焦ったような高野の声を背中に受けながらも、遠回りをして何とか本庁の外へと脱出することが出来た。
脱出、とは大袈裟だと思うかも知れないが、彼にしてみればそう言っても過言ではないくらいの大ごとだったのだ。


なんとか佐藤ファンクラブの目を掻い潜り、切り抜けられた喜びを掌を握り締める事で噛み締めた後、携帯のサブディスプレイに表示された時間を見て再び走り出す。
待ち合わせの時間はもう過ぎてしまっているし、彼女はきっともう待ち合わせ場所に付いているだろう。こんなに遅れてしまうなら何処かの店の中で待ち合わせれば良かったな、と僅かな後悔の念が過る。
試しに佐藤さんの携帯を鳴らしてみたけれど、電源が入っていないのか、若しくは電池が切れてしまったのか。
恐らく後者であろうが、上手く繋がらずに携帯会社の案内の声だけが耳に届いた。
仕事柄、携帯は必要だから普段なら彼女も小まめに充電しているけれど、多分昼からの非番で充電を忘れてしまったのだろう。





携帯をぎゅっと握り締め、沢山の色が溢れる賑やかな街の中をただ、ひたすらに走った。

――後編へ
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