*ただいま




視線は下に向けたまま手探りでスイッチに触れると、視界を温かい光が一気に埋め尽くした。
肩に下げていた鞄を玄関に下ろすと、まるでその行動に導かれたかのように大きな吐息がひとつ、漏れる。
3週間振りの、我が家だ。


ひと月ほど前に警視庁の管轄内で起きた殺人事件。
殺人事件が起きれば勿論警察が捜査に当たるわけで。
当時たまたまひとつの事件を解決し終わったばかりで、手が空いていた自分がその事件を担当することになったのだけれど、最初想像していた以上に(最初から事件の程度を決めつけることは決していいことではないけれど、もう1週間以上もまともに家に帰っていなかったからその想像に“希望”が入ってしまったのは仕方がないことだと、思う。)大がかりなものになってしまった。
被疑者と見られる男が捜査員の目を掻い潜り、よりにもよって管轄外に、それも栃木県に逃亡してしまったのだ。
目撃されたのが管轄外であっても、管轄内で起きた事件の被疑者の逮捕を他の県警に丸投げするわけにはいかない。
そんなわけで担当していた俺も栃木県に向かうことになり、被疑者を逮捕したのがつい昨日のこと。


靴を脱ぎながら腕時計に視線を移す。
時計の針はもう、真上を通り越していた。


「ただいま」


こんな時間じゃもう寝てるだろうな。
そう思ってもただいま、と口にしてしまうのはそれが彼女と付き合い出してから俺の習慣になったから。


重い荷物の中身を洗濯籠に放り込んで、リビングへと足を踏み入れた。
その時漸く、リビングの灯りが点きっぱなしだったことに気付く(帰って来た時は下を向いていたせいか気付かなかったけれど)。
同時に、ソファの上の人影にも。


「……美和」


無意識のうちに、音が零れ落ちた。


――待っていて、くれたんだ。


今日中に帰るとは伝えたものの、途中で携帯の電源が切れてしまったせいで何時になるとは伝えられなくて。
きっと彼女の予想よりずっと遅くなってしまったであろう帰宅を心の中で詫びながら、ソファに身体を横たわらせて小さく寝息を立て続ける愛しい人のすぐ傍に腰を下ろした。
すぐ傍にあった文庫本を閉じ、テーブルに置く。多分、読みかけなんだろう。


結婚してもうすぐ半年が経つけれど、お互いに相変わらず事件事件の毎日で、1日中ふたりっきりで過ごした日なんて両手で数え切れるしかなくて。


それでも、こうして彼女が、自分の全てをかけて守り抜こうと思えるひとがすぐ傍にいてくれるだけですごくすごく幸せだと、このひとと結婚出来て良かったと、心から思う。


少し伸びかけた黒髪に指を絡めて遊んでいると、閉じられていた瞼が震えてぼんやりとした瞳が俺を捉えた。


「美和、」


笑いかけると、ゆっくりと伸びてきた白い腕。
そのまま小さな掌が頬に当てられ(寝起きだからか、とても温かい)、まるで壊れやすい何かに触れるかのように何度も何度も撫でられて。


「…おかえりなさい」


ふわりと笑った顔が、愛しくて仕方がなくて。


華奢な身体を引き寄せて、そのままギュッと抱きしめた。


「ただいま」




fin. /20111015


何気ない瞬間が実は一番幸せなんじゃないかって、思うのです。
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