*お前に捧げる鎮魂歌


ふと誰かに呼ばれた気がして、書いていた書類から顔を上げるとペンを置き、そのまま立ち上がった。
元々、ずっと椅子に座ったまましなければいけない仕事なんて嫌いだし、丁度キリのいい所まで出来上がっていたから。
首や肩を解すように回すと、暫く座りっぱなしだったせいかいい音が鳴った。
漸く足を伸ばせるという小さな開放感を感じながら、隣の席をちらりと見遣る。なんでも放りっぱなしの自分の机―現に、ペンや書類などがあちこちに散らばっている。――とは違い、きちんと整理された席。
その席の主はと云えば、三時間以上前に先に帰って行った。
ちゃんと書類仕上げとくのよ、とか、面倒くさいからってサボっちゃ駄目よ、と言い残して。 (最初は年下なのに随分偉そうな奴だななんて思ってたけど、今はそれが彼女の仕事への真剣さなのだと気付いた。)
まぁ、その言葉通りサボらずにここまでやった訳だから、自分なりに頑張ったほうだろう。少なくとも文句は言われないはずだ。


机の端に置きっぱなしにしてあった煙草の箱を取って振ると微かな音がなり、それが一本だけ残っていることを証明する。
一本しか残っていないのなら新しい箱を開けても良かったのだが、いちいち机を漁るのも面倒だ。取り敢えず外の空気が吸いたい。
ズボンのポケットに適当に突っ込み、人気の少ない部屋を後にした。




屋上へ続く金属質のドアを開くと、微かに冷たくなり始めた風が頬を掠めて自分が登ってきた階段へと流れ込んだ。
秋特有の、それ程寒いとは感じないけれど、心をそのまま通り過ぎるような澄み切った風。


「…こんなこと考えるなんて、どうかしてるよな」


誰かが傍で聞いている訳でもないが、言わずにはいられなかった。
今の自分の心の中には、去年には決して感じることのなかった、何かもやもやした気持ちが広がっていて。…気持ちが悪い。
一気に吐き出してしまおうかと、思った。――いや、思った、ではなく、思う。
そのために此処に来た。


コツコツと辺りに響く自分の靴音を聞きながら、フェンスへと歩を進める。
完全に陽の落ちた空は暗い。だが、月がその姿を明々と主張していた。…一年前、あの日の夜に見上げた月と同じだ。
ポケットに突っ込んでいた煙草を一本、箱から取り出してライターで火を吐けて煙を吸い込みながら、大きな爆発音と共に消え去ってしまった親友の顔を思い出す。――いや、親友なんて軽い関係じゃなかったな。


「…戦友、か。」


いつだって共に戦い、お互い励まし合ってきた。
あの日も仕事を終え、その後は一緒に呑みながら仕事の成功を喜び、他愛もない会話を交わす筈だった。…そう、いつものように。




一つの爆弾と共に、その声は――体さえも、消え去った。
けれど、最後に聞いたアイツの言葉は、決して別れの言葉なんかじゃなかった。


「別れの挨拶なんていらなかっただろ?」


月に向かって語りかける。
お前はまだ、どっかにいるだろうから。で、俺がお前の敵を取るのをどっかで見てるんだろ。
だから一年前も何も言わなかった。その時のお前の口調から、もう二度と顔を合わせることが出来ないということを理解しても。


「だが、今なら祈りぐらいは捧げてやってもいいけどな」


きっとお前、俺のこと心配してるんじゃねぇか?
こんなこと言えば大笑いするだろうけど。近くにいるような気がするんだよ。


――鎮魂歌。
ふと頭に浮かんだのは、そんな単語。
いつか、戦友の口から聞いた言葉。


『なぁ、俺が死んだらどうするよ?』
『はぁ?お前死ぬ気なのか』
俺が飲んでいたビールを机に置いて尋ねると、萩原は何が可笑しいのか、面白そうにへらりと笑う。(こいつの笑い方は見る人によれば癪に障るかも知れないが、俺は嫌いじゃない。)
『例えばだよ、例えば』
『…まぁ、敵ぐらいはとってやるよ』
『松田、鎮魂歌って知ってるか?』
萩原が突飛な話を持ち出すことはいつものことだが、今日のそれはいつもと違っていた。
『なんか聞いた事あるような言葉だな』
『死者の魂が、天国に迎え入れられるように祈るものなんだと』


天国に迎え入れられるように、か。


「別にそんなこと今更祈らなくても、お前なら番人を殴ってでも天国に行ってそうじゃねぇか」


自分で言っておきながらも吹き出しそうになった。勝手に行くんなら、俺がわざわざ祈ったりすることもない。


「…いつかは俺も、行くだろうしな」


それは明日かも知れないし、一年後かも知れない。
もしかしたら三十年後かも知れねぇな。
けど、待ってろ、なんて言わない。
お前がもし先に死んだなら、その犯人を絶対にとっつかまえて…敵を取ってから、追いついてやる。
だから、先に行ってゆっくり休んどけばいい。




吸い込んだ煙を吐き出しながらもう一度空を仰ぐと、相変わらず輝き続ける月が微かに笑ったような気がした。


―天国へ迎え入れられるように祈るんじゃなく、敵をとることへの決意を。




(先に逝ってしまった戦友へ捧げる、たった一つの鎮魂歌。)
fin.
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