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*Sweet time with you 湿ったままの髪をタオルで拭きながら、熱心に何かをしている訳でもなく、ただぼんやりとテレビを見詰めている ―…ように僕から見えただけだから、本当はそうじゃなかったのかも知れないけど。―佐藤さんに声をかけると、その肩がギクリと、 まるで驚いたかのように小さく跳ねた。 もしかすると、驚いたのは彼女じゃなくて僕の方だったのかも知れない。 壁に掛かった時計にちらりと視線をやると、時計の針は二つとも真上を通り過ぎて単針は既に次の数字へと近付き始めている。 別に、この時間帯にお風呂から上がってくることが珍しいわけではない。 仕事柄、帰って来る時間が決まっている訳じゃないし、寧ろちゃんと自分の家に帰れることの方が圧倒的に少ない…その上佐藤さんと二人で一緒に この部屋に帰って来るとなると、それ以上に少ないのだ。 お互い警察官と云う多忙を極める仕事をしているのだからそれは勿論仕方が無い事だし、僕にしても彼女にしても、帰宅時間などに 関しては何の文句も無い。寧ろ、早く帰れる日が続いたとしても特にすることはないし手持ち無沙汰になってしまうだけだろう。 …いや、今はこんなことは全くもって関係ないんだけど。 僕が驚いたのは、てっきりもう寝てしまっているだろうと思っていた彼女が起きていたから。 実際僕が風呂場へ行く前に声をかけた時には眠たそうにしていたし、瞼も今にもくっ付いてしまいそうだった。 画面には映像が映し出されて賑やかな音を発するテレビも、その時の彼女にしてみればもうただの物体に過ぎなかったかも知れない。 だから僕がお風呂から出てくる頃には、炬燵に入ったまま、完全に寝入ってしまっていると思っていたのだけれど。 「まだ起きてたんですか?」 「うん」 横にしゃがみ込んで尋ねると、まるで小さな子どもがそうするかのように一つ、頷いた。 もしかしたら僕が出てくるのを待っていてくれたのかもしれない。そんな都合のいいことを考えたりしながら机の上にあるコーヒーカップへと 手を伸ばす。口に含んだそれは大分冷めてしまってはいたが、十分に美味しい。最近のコーヒーは、冷めても美味しいように作られているようだ。 中身を飲み干したカップを再び机の上に置いて視線を横へと戻したら、此方をじっと見上げている彼女とふと目が合った。 その行動に首を傾げながらも真ん丸な、綺麗な黒色をした瞳を覗き込むと、直ぐに逸らされてしまった。 僕の方をじっと、まるで何かを熱心に観察しているかのように見ていたかと思えば、次の瞬間にはふいと視線を逸らしてしまう。 そんなことは今までにも何回かあって、その度に僕は首を傾げていたのだけれど特に深く追求するようなことはなかった。 尤も、聞いてみたとしても話をはぐらかされてしまうような、そんな気がうっすらと自分の中でしていたのかも知れない。 「ねむいー」 僕が頭の中で疑問符を飛び回らせている事に気付いているのか、いないのか。……恐らく後者の方であろうが。 行動を起こした当の本人はと云うと、先程のことなどなにもなかったかのように炬燵に突っ伏し、ぽつりと一言呟いた。 「そろそろ寝ましょうか」 眠い、と言われればそう返すことしか出来ない……だろう。寧ろ、何か他の選択肢があるのなら是非とも教えてもらいたいものだ。 けれど、僕が選んだ返答は佐藤さんにしてみれば、何故か不満だったらしい。 小さく頬を膨らませ、腕に乗せていた頭を上げて再び此方を見上げてきたかと思えば。 次に彼女が口にした言葉は、先程以上に僕を混乱させるには十分過ぎるものだった。 「…や」 「へっ!?」 その時の僕は、物凄く間抜けな顔をしていたに違いない。もしこの場に千葉がいれば、間違いなく突っ込まれていただろう…少なくとも、 間違っても仕事場でするような顔ではなかった筈だ。 唐突な、予想だにしなかった彼女の一言に一瞬にして疑問符がぶわっと音を立てて湧き上がる。 あのだのいやだのと自分でも訳がわからない、意味不明な言葉を口にしながら首を横へぶんぶんと振る僕の行動は、傍から見れば 相当可笑しなものだったろう。 しかし自分でも意識しないまま、無意識のうちにそうしてしまったのだから仕方がないと言えば仕方が無いことで。 何とか自分を落ち着かせてもう一度真っ直ぐに、相変わらず炬燵にもぐり込んだままの佐藤さんへと向き直ると、その頬が微かに赤く染まっていることに 気が付いた。 (も、もしかして…) それを見て、ピンと頭の中で何かが閃いた。同時に、この部屋へ戻ってきたときに彼女が肩を震わせた理由も、わかった。 そしてその閃いた「何か」を確実なものへとするために辺りを見回すと、僕からは見え難い場所――丁度炬燵布団で隠れるところ―に何と無く見覚えのある缶。 確か、コレは……。 「もしかして、呑みました…?」 その缶を人差し指で示し、恐る恐る、表情の一つ一つを窺うかのように尋ねる。 すると、佐藤さんは一瞬でへらりと表情を緩めた。そして表情を緩めたかと思えば、今度は僕に詰め寄ってきたのだ――…それも、よりにもよって僕の顔の…真ん前に。 「さ、佐藤さん?!」 只でさえ心臓が激しく打ち始めていたというのに、急にそんな行動をとられてしまっては完全にお手上げだ。まさに白旗状態。 心臓は更に高鳴り、何とか捻り出した声だって上擦ってしまった。 「まだ寝ないもん」 …酔ってる! 今までは只の推測でしかなかった(もしかしたら…と思っているだけで、いま一つ確信がもてなかったのだ)が、 たった今発せられた一言によってそれは完全な事実となった。第一、話が噛み合ってない。 しかし、普段の彼女であれば滅多なことで酔ったりはしないのだ。それが缶一本(…だと思う)でここまで完全に酒が回ってしまったということは、 疲れも溜まっていたのであろう。実際、ここ最近はまともに睡眠すら取れない日が続いていたのだし、いくらタフだといってもそれにも限度がある。 ―それなら尚更、 「そろそろ寝ないと明日起きれませんよ?」 …本当は、そんなことはないのだけれど。前日にいくら酒が入っていても仕事に出掛ける時間になると眠たい、などと多少ぼやきはしても 最終的にはきっちり目を醒ますし、玄関に立つころには既に「刑事」の顔になっている。何処までも真っ直ぐで、凛々しい彼女に。 だが、今はそんなところまで意識している余裕はない。取り敢えずは未だ寝ないと言い張っている彼女を寝かし付ける(…と言うのは 語弊があるような気もするが、完全に酔ってしまっているのだからそれは許してもらおう。)ことが先決だ。 「立てますか?」 立ち上がり、手を差し伸べながら言ってはみるものの、案の定佐藤さんは首をふるふると横へ振る。 まるで医者に行くのを嫌がっている、小さな子どもを相手しているような気分になってくるのは何故だろうか。そして、 人によっては厄介に感じてしまうかもしれないことなのに、無意識に笑みを浮かべてしまうのは。 ――答えは一つ。目の前にいるのが一番大切に思う、その人だから。 いくらその仕草が可愛らしく、いっそのこと今すぐ抱き締めてしまいたい衝動に駆られるとしても、このままの状態でいる訳にはいかない。 何かを考える前に、先ず手が動いていた。 「……!」 膝の裏と背中に腕を回して抱き上げると、軽い身体は簡単に持ち上がり、あっさりと自分の腕の中に収まった。 唐突な行動に驚いたのか、目を見開いて見上げてくる彼女を出来るだけ見ないようにしながら――見てしまっては最後、自分の中にある"何か"を 押さえきれる自信がなかった。―ベッドの上へと腕に抱えていた身体をゆっくりと降ろす。 抱き上げた身体は相変わらず華奢で、柔らかかった。 「僕ももう寝ますから、寝ましょう?」 あっという間にベッドへと運ばれてしまい、ちょっとしてから我に返ったらしい佐藤さんが何かを言おうと口を開きかける。 それが完全な言葉になる前に畳み掛ける様に言いながら、近くに座っていた―正しく言えば、置いてあった――ぬいぐるみを手渡すと、 暫くの間僕とそれとを交互に見比べていたが、ややあってこくりと頷いた。 ちなみに、僕が佐藤さんに手渡したぬいぐるみはいつだったか、何故か彼女自身が連れて帰ってきたものだ。 それから大分経った今でも、一体何処からもらってきたのかわからないのだけれど。 それでも、彼女はこのぬいぐるみが大層お気に入りで、テレビの前でそれを腕に抱えて座っている姿も何度か目にしたことがある―…佐藤さん曰く、 触り心地がいいらしい。確かに、触り心地がいいことはわかる。 テレビの電源を落としてから、灯りを消して布団に潜り込み、直ぐ傍に感じる温もりを抱き寄せた。 細くて柔らかな黒髪をそっと撫でながら彼女の肩に額を置くと、シャンプーの甘い香りが鼻孔を満たす。 自分と同じ物を使っている筈なのに、どうしてこんなにも甘い香りがするのだろうか。 ――同じなのにこんなにも、違う。 今腕の中にすっぽりと収まっている身体は小さく、柔らかくて。 仕事場で見る時の彼女は背筋をピンと伸ばし、事件を見詰める視線はいつも何処までも、恐ろしい程真っ直ぐだと言うのに。 心地良い温もりに、思わず眠りに落ちそうになった時。 それまでは此方に背を向けたままだった彼女が小さく身じろいだかと思うと、もぞりと寝返りを打って腕の中から僕の顔を見上げてきた。 そして、一旦収まりかけていた心臓は真っ直ぐな視線によって再びバクバクと動き出す。 「ど、どうし…」 「あのね」 僕が最後まで言い切る前に、少しだけ目を伏せた佐藤さんがぽつりと呟いた。その表情が、どこか照れているように見えるのは気のせいか……? 「今度の非番の日にね、何処か行こう?」 ほんの一瞬。 一番想う相手に上目遣いで、しかも酔っているせいか微かに潤んだ瞳でそう言われて普通に返事を返せる男がいるのなら、今すぐ此処に 来て頂きたいものである。果たしてそれが良いものなのかどうかは別にして、少なくとも僕はそういう類の人間ではなかったために、思わず固まってしまった。 動きは完全に止まったものの、酷使して鍛え上げた脳は彼女の言葉を完璧にキャッチして、同時に何かが脳裏に閃いた。 そうか、そうだったのか。 眠たそうにしていたというのに、それを我慢してまで僕を待っていてくれていたのは。(この際、炬燵の傍にあった缶のことは気にしないでおく。) もやもやとしていたものがまるで霧が消え去るかのように一気に晴れ、口元には思わず笑みが浮かんだ。 「そうですね」 そう云うと、嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑ってくれるものだから。 「…ちょ、高木くん!」 どうやら本気で驚いたらしい佐藤さんが更に頬を染めて抗議の声を上げるまで、その身体を目一杯抱き締めてしまっていたことに全く気付かなかった。 今度の非番の日がいつになるかなんて、はっきりとわかるものではないけれど。 それでも、僕と一緒に行きたいと言ってくれた彼女の気持ちが凄く嬉しかったから。 腕の中の、本当に愛おしくて愛おしくてどうしようもない温もりを感じながら、例え多少の無理をしてでも彼女と同じ日に非番を取ってやろうと、そう思った。 fin. |