文章倉庫 » 能「富士太鼓」研究
基本データ 曲柄 四番目 季節 九月 場所 京都 時代 萩原院(1320頃) 作者 世阿弥、禪竹説も
登場人物 シテ 富士の妻 ツレ 富士の娘 ワキ 臣下
あらすじ
萩原院(花園天皇)の時代に現在の大阪・四天王寺の浅間という雅楽奏者が太鼓の役に召されましたが、一方同じく大阪・住吉神社の富士という奏者もこの役を望んで上洛しました。このことを知った浅間は富士を憎み、富士の宿所に押し入りこれを殺してしまいます。ここまでの経緯が冒頭、ワキの萩原院の臣下によって語られます。住吉に残されていた富士の妻は不吉な夢を見て富士のことが気にかかり、娘を連れて都へ来たところ、臣下に富士が殺されたことを告げられます。富士の形見の装束を渡された富士の妻は、これを身に付けると、自分の力では浅間を討つことは出来ないためか、富士が死んだのは太鼓のあるためであり太鼓こそが仇であると言います。まず娘に太鼓を打たせ、ついで自ら撥を持ち太鼓を打ち始めます。「持ちたる撥をば剱と定め」のシテ謡いとともにますます狂乱した様子で舞いますが、やがて正気を取り戻し、天下の安寧を願う舞を舞った後、夫の形見の装束を脱ぎ捨て、名残を残しつつも太鼓のもとを去ってゆきます。
装束と舞
シテが途中で着る夫の形見は雅楽奏者用の鳥兜と舞衣です。女物で鳥兜をかぶるのは「富士太鼓」と後述する「梅枝」しかありません。他には「白髭」、「大社(おおやしろ)」、「道明寺」があります。これら鳥兜をかぶるシテは必ず「楽」という舞を舞います。これは雅楽に伴う舞である舞楽を模したもので、「富士太鼓」では夫の霊が半ば取り憑いていることを表しています。囃子には通常太鼓が入りますが、この曲では除かれ、シテの狂乱の心を表現しています。
題材
「謡曲拾葉抄」は実際の事件としてちょうど萩原院の時代、文保三年に芸事に関連して殿上人の間で殺人事件があり、「富士太鼓」はこれに題材を得たのではないかとしています。雅楽師の間での事件としては同じような事件で有名なものがこれより二百年ほど前にありましたが、これは反映されていないようです。あるいは、雅楽に限らず類似の事件はこの時代ありがちであって、そのことを反映した現在能であるという見方も成り立つようです。
「梅枝 (うめがえ) 」
「富士太鼓」の後日談を扱った能に「梅枝」があります。「富士太鼓」が現在能であるのに対してこれは夢幻能です。旅の僧(ワキ)が住吉で里の女に宿を借りると、その女は実は富士の妻の霊であり僧に回向を頼むという内容です。
参考文献 十四世 観世左近 大成版観世流初心謡本 下 檜書店 1965 田口和夫 能・狂言研究 ―中世文献論考― 三弥井書店 1997 野上豊一郎編 能楽全書 第四巻 東京創元社 1979 横道萬里雄 他編 岩波講座 能・狂言 Ⅳ 岩波書店 1989
執筆: 2004年度入部 H. K. 2004年度片山定期能12月公演と観世例会12月会に向けた部内研究冊子から