文章倉庫 » 能「屋島」研究
基本データ 曲柄 二番目 修羅物 季節 三月 場所 讃岐国木田郡屋島壇ノ浦 作者 世阿弥
あらすじ
旅の僧が讃岐国(香川県)屋島で塩作りの小屋に一夜の宿を求める。若い男とともに釣から戻ってきたその小屋の主人の老人は、僧が都の人と聞いて懐かしがり、応じて招き入れた後、僧の所望によってかつての源平の合戦の様子を語る。義経の大将振り、悪七兵衛景清と三保谷四郎との戦いの様子、佐藤継信の最後(詳細はNHK大河ドラマ「義経」第32回参照)について語ったが、その物語があまりに詳しいことを不審に思った僧が老人の名を尋ねると、義経の霊であることをほのめかして消え失せる。
―中入―
やがて僧の夢の中に甲冑姿の義経が現れ、屋島の合戦の際、波に流された自分の弓を敵に取られまじと、身を捨てて拾い取ったことをことを語った後、修羅道に堕ちたために今もやはり戦わねばならないのだとその戦いの有様を示していたが、夜の明け行くとともに共に消え失せる。
小書「弓流 (ゆみながし)」
小書なしの場合、波に流された自分の弓を取りに行く場面は床几(しょうぎ)に掛けたままシテと地謡の掛け合いで描写される。小書がある場合シテはこの場面で弓に見立てた扇を取り落とし、それを拾うまでのさまを橋掛かりも使って演じる。また翔(かけり)もなくなる。
小書「那須語 (なすのかたり)」
小書「弓流」がつく場合この替間(かえあい・通常の間狂言とは違う狂言)となる。有名な扇の的の話(やはり大河ドラマ「義経」第32回参照)を源義経・後藤実基・那須与一の一人三役で語る。和泉流では「奈須与市語(なすのよいちがたり)」。狂言方の重習である。
屋島-八島?
観世以外の流派では「八島」と表記する。観世流でも大成版より前(いわゆる「大正版」以前)では「八島」と表記。地名は古くは八島とも表記したが現在は屋島と表記。
壇ノ浦の戦い?
壇ノ浦は上述の通り、屋島南東部の地名。源平の合戦(治承・寿永の乱)最後の戦いである壇ノ浦の戦いは長門国赤間関壇ノ浦(山口県下関市)で戦われた。
屋島の現在
現在香川県高松市の範囲に属する。最寄り駅は高松琴平電鉄志度線潟元。2005年度の春合宿地エリエス荘からは直線距離で約20km。山頂へは屋島ドライブウェイ(有料)、登山道(無料)がある。屋島ケーブルは運休中。屋島の戦い(西暦1185年)当時は四国島との間に海があり、干潮時には義経軍が騎馬で渡れるほどの深さだった。江戸時代の埋め立てにより現在は半島となっている。
地理
屋島の遠景はテーブル状を呈しており、溶岩台地(メサ)の特徴をよく現している。これはアメリカ合衆国モニュメントバレーにあるメサ地形と同じものである。この地形ゆえに、天然の要害として、白村江の戦い(西暦663年)での日本・百済軍敗退の後の667年に、唐・新羅の侵攻に備え朝鮮式山城である屋島城(やしまのき)が築かれた。現在遺構が確認されている。平家軍もこの地形を利用してここに拠点を置いた。
参考文献 観世流大成版謡本「屋島」 高松市ウェブサイト www.city.takamatsu.kagawa.jp/ 登城 woodone3831.web.infoseek.co.jp/index.html
執筆: 2004年度入部 H. K. 2005年度片山定期能4月公演に向けた部内研究冊子から